(2000年8月21日記)
本格的レビューショーで人気の高かった上海のシーザースクラブがしばらくの間休業することとなった。店自体は内装工事のあと再オープンする計画もあるようだが、レビューショーの方は再開の予定がないという。このところ客の入りが振るわなかったが、休業前の最終日である8月11日は満員の入りとなり、惜しまれながらの「お別れ公演」となった。
●シーザースクラブとは
本稿では、こういう結果となった要因等を整理し、中国投資に関する注意点等を考えていきたいが、まずは上海以外に住む方のために、シーザースクラブについて筆者の知る範囲でご紹介しておこう(記憶にあいまいな点もあり、年月など不正確なところがあるかもしれないがお許しいただきたい)。
内装・施設に数億円をかけ開業したのが1995年。淮海路と並ぶ上海随一の繁華街南京東路に面するビルの6階・7階を占有し、南京東路から直通の専用エレベータをもある。6階は高級感のあるカラオケルームが並び、7階にはスナックと3つのカラオケルーム、そしてショーの舞台と観客席のあるオープンスペースのホールがある。シーザースのウリは何と言っても本格的レビューショーだ。毎年紅白歌合戦の振付も手がけている小井戸秀宅氏演出であり、ダンサーも全てダンス学校にてダンスを専門に学んできたプロ。オープン当初は接待には必需の場所で、かつ各種ガイドブックでも紹介される観光スポットとして、予約なしでは入れない日があるほど賑わっていた。
絶好調にあったシーザースだが、その転機が1997年に訪れた。南京路の地下鉄工事が始まり、店に行くには裏手の泥だらけの道を通らなくてはならないようになった。これでは接待には使えず、客足が大きく遠のくこととなった。
地下鉄工事終了が当初予定より遅れ、南京東路は1999年12月になってようやくきれいな歩行者専用道路となって生まれ変わった。しかしその後も客入りは振るわず、内装のマイナーチェンジ、料金体系の変更等努力が続けられたが、以前のような賑わいが戻ることは二度となかった。
●営業不振の要因
営業が振るわなくなった要因はいくつか考えられる。
(1)立地の悪化
まずは南京東路の工事によりアクセスが不便となったこと。熱心なファンはそれでも通いつづけたが、やはり接待での利用は厳しくなった。特に店のすぐそばに車を横付けできなくなった点が大きい。接待利用の人々は、重要な客を連れて泥だらけの道を通るくらいなら他の店に行った方がいい、と考えた。
(2)人材の流出
1999年12月に南京東路の工事が終了したあとも客入りは戻らなかったが、その大きな理由は人材の流出であろう。カラオケのホステスは客からのチップが収入源であり、客の入りに比例して収入が増減する。店に忠誠を尽くすなどという発想は全くないので、ホステス達は客が入らなければ客が入る店へと移っていく。そして南京東路完工後に、経営建て直しに本腰を入れようとしても、ナイトクラブが乱立する現状で優秀なホステスを集めるのは容易なことではなかった。
ダンサーの流出も生じた。客入りの落ち込みとともに給与が圧縮され、客から贈られる花も減少した(客がショー終了時にダンサーに花を贈るとダンサーの現金収入となる)。また、ダンサーたちはなにより大勢の客の前で踊ることを悦びとする。時には2、3人ともなる客入りでは張り合いが抜けよう。こうした中、主役としてショーを引き締めていたダンサーが舞台を去った。ダンサーの管理をしていた女性が独立し、彼女に連れられ人気ダンサーが辞めていったこともあった。1998年2月に一時店を休業した時期があったが、この際ダンサーを稼動するために数週間ダンサー達が南通のホテルのショーに派遣されたことがあった。この興行自体は小銭稼ぎとなったのだが、結果としてこれが大きな失策となった。泊まり込みで南通にまで行きたくないと考えるダンサーがこれをきっかけに辞めていったのである。往時は20人近くいたダンサーの数は一時7人まで減少し、ショーの華やかさが大いに減退した。
(3)景気低迷
接待での利用減少には日本の景気悪化によるところも大きい。各企業は経営不振の中で接待用資金を絞るようになり、こうした高級路線の店はどこも経営悪化に苦しむこととなった。
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