ブレクジット(イギリスのEU離脱問題)
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1. そもそもEUって?
ブレグジットについて見ていく前にまずはEUについて簡単におさらいしておきましょう。
ドイツとフランスの石炭や鉄鋼資源をめぐる争いがふたつの世界大戦の原因となったとの反省から1952年に欧州、石炭、鉄鋼共同体が設立されました。その後欧州、経済共同体と欧州、原子力共同体が設立され、1967年に3機関を統合した欧州共同体が誕生します。そして、さらに外交や安全保証と司法等内政分野を加えて1993年に欧州連合、EUが誕生しました。
EUのキーワードは関税同盟と単一市場です。関税同盟では、加盟国同士の関税やその他の貿易制限が撤廃され,加盟国以外の国に対しては共通の関税率が設定されます。単一市場は食品の安全基準や工業製品の規格などのルールをひとつにし、人、物、サービス、おかねがひとつの国であるかのように自由に移動できる地域のことです。
イギリスは欧州、石炭、鉄鋼共同体の加盟国ではなく、経済が低迷していた1973年に欧州共同体に参加しました。つまり平和のために共同体を設立したげん加盟国と経済のために加盟したイギリスとはもともとのスタンスが異なっているのです。
またイギリスはEUの共通通貨、ユーロを採用せず独自通貨ポンドを使い続けていることや独自の中央銀行を有していることなどからもわかるようにEUに属しながらもEUと少し距離を取り続けました。
2. なぜEUを脱退したかったの?
では、イギリスのEU離脱、いわゆるブレグジットについてみていきましょう。ちなみにブレグジットとはブリティッシュとイクジットを組み合わせた造語です。
イギリスがEU離脱の道を選んだ理由の第一は移民の急増に伴う不安感です。EUは2004年に東ヨーロッパなどの10ヵ国が新規に加盟し大きく拡大しましたが、それ以降2015年までのおよそ10年間でEU内からイギリスへの移民は100万人から300万人へと急増しました。
2015年1年間のEU内からイギリスへの移民はおよそ18万人にものぼりました。自分の周囲に移民が目立つようになり、仕事が奪われるなどの不安を抱いた人たちがEUから離脱すべきと考えたのです。
EU離脱の理由の二番目は、自分のことは自分で決めたいということでしょう。
他国との貿易交渉はEUが行うので、イギリスには得意な産業や守るべき産業があるのに、自分の思いどおりに関税を設けることはできません。
関税に限らずあらゆる政策の決定において、イギリスの意見は他の多くの意見のひとつに過ぎないので反映されるとは限りません。また何を決めるのにも時間がかかってしまいます。
EU離脱の理由の第三は、EUに対する不満が積み重なっているということでしょう。
イギリスはEUに年間一兆円もの予算を出していますがEUには経済状況のよくない国や貧しい国などもあるためイギリスにはお金があまり戻ってきません。
またEUには数々の細かくて厳しい規制があり、それらがビジネスの足枷になっているというような不満やEUの官僚的な体質への不満もあります。
EU離脱の理由の第四として、イギリスは他のEU加盟国とそもそものスタンスが異なるという点をあげることができます。
すでにお話ししたとおりドイツやフランスは戦争を二度と起こさないようにという政治的な動機で欧州 、石炭、鉄鋼、共同体を設立しました。他方イギリスは経済的な動機で欧州共同体に加盟しました。EUの拡大により移民が増加するなどして経済的利益が小さくなれば脱退を考えるのも当然のことといえましょう。
3. なぜそんなにもめたの?
イギリスのEU離脱はなぜすんなりといかなかったのでしょうか。それはイギリスが脱退するためには北アイルランドに絡む問題を解決しなくてはならないからです。
もともとアイルランドはケルト文化を有しカトリックを信仰する人々が住む島でしたが、イギリスの侵略を受け植民地化され1801年に併合されました。
その後激しい独立運動を経て1922年に北部6州を除く南部26州が自治を獲得し1949年にアイルランド共和国として独立を果たしました。
一方北部6州ではアイルランドとの併合を望むカトリック系の人々とイギリス残留を唱えるプロテスタント系の人々との間の対立が深まり、1960年代以降、テロなどで3500人もが亡くなる北アイルランド紛争が勃発しました。
そして1998年、イギリスとアイルランド共和国のあいだでベルファスト和平合意が締結され、両国政府は北アイルランドの領有権を主張しないこと、北アイルランドの帰属は将来の北アイルランド住民の多数派が選択すること、それまではプロテスタント系の政党とカトリック系の政党が共同する自治政府が政策の決定をすることなどが合意されました。
ベルファスト合意は要するに北アイルランドの帰属は当面あいまいにしておいて、はっきりさせるのは将来に先送りしようということですが、イギリスとアイルランドの両方がEUの中にいれば帰属問題は重要ではないので、この内容で問題はありませんでした。
しかしイギリスがEUから離脱すると国境線をどこに引くかという問題が生じます。特に問題となるのが北アイルランドにはいる物品に果たしてイギリスとEUのどちらの関税や安全基準などを適用するのかということです。多数派であるプロテスタント系の人々はイギリスの統治を望んでいるのでアイルランド島とグレートブリテン島の間に線を引くことには納得しません。
かといってアイルランド共和国とのあいだに税関などを設置して自由な往来を止めればカトリック系の人々がベルファスト合意の内容に合わないといって怒り、内戦状態に戻ってしまう危険もあります。この問題がイギリスのEU離脱を非常に難しくしたのです。
4. ブレクジットの流れ
それでは、イギリスのEU離脱の流れについてみていきます。
2016年6月、キャメロン首相のときにEU残留か離脱かを問う国民投票が行われ、結果は離脱、賛成がわずかに反対を上回りました。
国民投票の結果を受け、メイ首相が2017年3月29日にEUに離脱を通告しました。離脱の日付は2年後の2019年3月29日とされ、それまでの2年間でイギリスとEUとの間の離脱協定交渉が行われることになりました。
交渉での最大の懸案は北アイルランドの問題ですが、2020年末までにいい解決策が見つからなければイギリス本土がEU離脱後もEUの関税同盟にとどまるとする、いわゆるバックストップ条項を盛り込むことにより問題を回避する離脱協定案が2018年11月にまとまります。しかしそれでは、離脱により発言権はないにも関わらず引き続きEUのルールにしばられることになってしまうことからイギリス議会は離脱協定案を承認しませんでした。
離脱の期限の2019年3月29日は迫っているのに議会が承認しなかったことで離脱協定なしで離脱となる可能性が強まりました。いわゆる合意なき離脱です。合意なき離脱となれば、関税の負担や通関業務がある日突然発生するなど経済に大きな混乱が発生してしまうので、これはなんとしても避けねばなりませんでした。やむなくイギリスはEUに離脱日の延期を要請し2019年10月31日までの延期が承認されました。
そしてジョンソン首相のもとで新離脱協定案が作成されました。北アイルランド問題については北アイルランドを含むイギリスはEUの関税同盟から離脱しますが、税関検査等はアイルランド共和国との国境では行わず、アイルランド島とイギリス本土の間で行うこととされました。北アイルランドにはいる物品についてはイギリス税関がEUの関税を代行して徴収しますが、その物品がEUにはいらない場合にはいったん徴収した関税を払い戻します。
安全基準など物品に関する規制については北アイルランドはイギリスではなくEUのルールに従います。
この新離脱協定案がまとまったのは10月17日であり離脱期限の10月31日が迫っていたので、離脱期限はさらに3ヶ月延長されました。その後12月に総選挙が行われ与党が勝利し、EU離脱関連法案が議会を通過して2020年1月31日、ついにイギリスはEUを離脱しました。
5. 今後はどうなるの?
最後にEU離脱後のことについてみておきましょう。2020年1月31日の離脱日の翌日から12月31日までは移行期間とされイギリスはEUの単一市場や関税同盟にとどまることになります。この期間にイギリスはEUや日本などとの間で自由貿易協定など新たな枠組みの協議を行いますが、わすか11ヶ月でそれらを全てまとめることは容易なことではありません。
イギリスとEUの双方が合意すれば移行期間を1年または2年延長できますがジョンソン首相は延長しないと明言しているので延長の可能性は低そうです。そのため2020年末にかけて合意なき離脱と同じ状況に陥ってしまう危険があります。
editor's note
省略(動画本編でご覧ください)