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円の歴史【第5回】ブレトンウッズ体制〜コーヒーブレイクしながらわかる

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新たな通貨制度をめぐる米ホワイトと英ケインズの対立

日本がまだ太平洋戦争の勝利を信じて疑っていなかった1944年の7月、連合国44ヶ国の代表たちが、戦争で勝ったあとの世界の経済の仕組みを決めるために、アメリカ、ニューハンプシャーのリゾート地、ブレトンウッズに集まりました。

会場のマウント・ワシントン・ホテルに集結した各国の将来の首相候補や財務大臣、中央銀行総裁たちのなかで、中心となったのは、アメリカ財務省のハリー・デクスター・ホワイトと、イギリスの代表で、経済学の巨人、ジョン・メイナード・ケインズです。ふたりはいずれも、各国に共通の世界的な利益だけでなく、アメリカとイギリス、それぞれの利益を求めたため、時に強く対立しました。

各国に共通の世界的な利益というのは、世界貿易を拡大することによって二度と世界大戦を引き起こさない、ということです。

世界大恐慌から脱するため、列強諸国は自国との経済関係が深い国々とブロック経済圏を形成しました。ブロックの外との貿易には高い関税を課すなどしたことから世界の貿易は7割も減少したと言われ、広い経済ブロックを持たず苦境に陥った日本などが、アメリカ、イギリス、フランスなど広いブロック経済圏を持つ国に挑んだことが第2次世界大戦の要因と考えられました。そこで、世界の自由な貿易を推し進めることが、世界の平和につながると考えられたのです。

また、1930年代、各国は、輸出を拡大し輸入を抑制するために、競うようにして通貨を切り下げました。この通貨切り下げ競争が、世界の貿易を著しく縮小することになったとの反省から、各国が協調できる・新しい通貨制度の創設が目指されました。

そのための米英間の話し合いは、ブレトンウッズ会合の数年前から始まるのですが、新しい通貨制度をめぐってホワイトとケインズは真っ向から対立しました。

ケインズは、国際精算銀行、ICBを創設し、ICBが貿易の決済に使用される国際通貨、バンコールを発行するという案を出しました。各国はバンコールを金の支払いや貿易などを通じて獲得でき、バンコールの各国通貨に対するレートや金に対するレートは固定されます。そして、各国の貿易量に比例してバンコールの上限と下限が定められて、貿易黒字国の持ち高が上限に達すると、自国通貨の切り上げや上限を超過した額への金利支払い等が求められます。逆に貿易赤字国が下限に達すると、レートの切り下げ等が義務付けられます。

このケインズ案が実現すれば、国際通貨が誕生するので、通貨ブロック経済圏は生まれず、為替レートの変更は一定のルールのもとで行われるので、通貨切り下げ競争も生じません。また、金本位制度の場合、通過供給量が金の産出状況に左右され、世界経済の成長率に金の産出量が追いつかない場合、世界経済はデフレに陥ってしまいますが、バンコールは供給量を自由に変化させることもできます。それから、バンコールの持ち高が上限に達した国にレートの切り上げを強いることにより、貿易赤字国だけでなく貿易黒字国にも不均衡是正への圧力がかかります。さらに、金を持たない国もバンコールの当座借越により輸入を決済することができるので、戦争で疲弊した国も再スタートを切ることができます。

このケインズ案にはメリットが多く、21世紀になってからも、リーマンショック後の経済の混乱から世界を救う手段としても注目されたりします。

ただ、この案には、戦争で疲弊し、金をほとんどもたない、貿易赤字国のイギリスに有利で、当時は貿易黒字国だったアメリカに不利な内容でした。それゆえアメリカはこれを即座に拒絶しました。

ホワイトは、金ドル本位制度の採用を構想しました。すなわち、ドルと各国通貨の交換比率を一定に保つ、ドル本位制度をとりつつ、ドルと金との交換比率を固定することで、ドルに金の裏付けを持たせる、という制度です。これによりホワイトは、ドルを世界の基本通貨に据え、アメリカが世界通貨の唯一の発行者という特権を得ることを狙ったのです。

ケインズ案では、赤字の解消の主要な手段は自国通貨の切り下げでしたが、ホワイト案では、国際安定化基金ISFが承認しなければ為替レートの変更はできません。赤字国は、ISFから自国通貨か金を担保にして資金を借り入れることができますが、早急に赤字を解消し、ISFに借入を返済することが求められます。ケインズ案は黒字国・赤字国の双方に制約を課すのに対し、ホワイト案では赤字国の責任が重視されたのです。

ホワイトとケインズとの数年にわたる論争を経て、結局1944年のブレトンウッズ会合では、概ねホワイト案に沿った決定されました。貿易黒字国であり、潤沢な金準備を有するアメリカが、戦争で疲弊し、アメリカの協力なしでは・もはや立ち行かないイギリスに勝利したのでした。

このイギリスの敗北には、自国に有利な案が通らなかったということにとどまらない、非常に重要な意味がありました。

ブレトンウッズ会合が始まって1週間目の1944年7月8日、IMF協定の草案の第4条第1項に修正が加えられ、ドルが唯一の金兌換通貨であるとされました。この文言によりドルが世界の唯一の基軸通貨であることが決定されたのでした。この日、スターリング・ポンドは基軸通貨の地位をドルに譲り、大英帝国は、地球の覇者の称号を失ったのです。


ブレトンウッズ体制

ブレトンウッズ会合で調印されたIMF協定では、次のようなことが定められました。

加盟国は、金か、金との交換が保証されているドルによって自国通貨の交換比率を表示することとされました。

金とドルとの交換比率は純金1オンスが35ドルに等しいとされ、加盟国は、基礎的不均衡が生じた場合を除いて、自国通貨の交換比率をあらかじめ定めた交換比率から上下1%以内の変動幅に釘づけることが義務付けられました。

つまり、ドルと金との交換比率を一定に保つ「金本位の固定相場制度」と、アメリカ以外の国が、自国通貨とドルとの交換比率を一定に保つ「ドル本位の固定相場制度」とがミックスされた、「金・ドル本位制度」が採用されたのです。

為替レートの変更が認められる基礎的不均衡が生じた場合というのは、国内の均衡を犠牲にしなければ国際均衡を回復できない状態のことを言います。

理論的には、貿易黒字が発生している国の国内経済がデフレ基調にあるときは、財政政策によって内需を拡大すれば貿易黒字を減らすことができますが、インフレ基調にあるときは、景気が加熱してしまうので、内需拡大による黒字解消という政策をとることができません。これが基礎的不均衡の状態です。また、貿易赤字が発生している国については、国内経済がインフレ基調にあるときは、引き締め政策を実施して内需を縮小すれば、貿易赤字を減らしつつ、インフレを抑制することができますが、デフレ基調にあるときに引き締め政策を実施すれば景気をさらに悪化させてしまうことになり、この状態は基礎的不均衡であり、IMF協定のもとで自国通貨の切り下げが認められることになります。

それから、1930年代に各国が自国通貨と外国通貨との交換を制限する為替管理を実施したことが世界の貿易を縮小したという反省から、IMF協定では為替管理を廃止して、モノの輸出入など経常取引について通貨の交換性を確保する義務が、IMF協定の第8条で規定されました。

ただ、戦後すぐで経済が回復途上にある国については、生活必需品や重要資源の輸入などに外貨を割り当てることが、IMF協定第14条で認められました。

この第8条の義務を履行している国は「8条国」と呼ばれ、第14条で義務が免除されている国を「14条国」と呼ばれました。

これらの義務を果たすためには、つまり、為替管理をすることもなく、一定のレートで、輸入業者からのドル購入要求などに無制限に応じるためには、中央銀行が、いつでも、いくらでも外貨を売ることができる必要があります。しかし貿易収支の赤字が続いて外貨が不足すると、義務の履行が困難になってしまうので、IMF協定では、加盟国の出資額に応じて、短期的に外貨を融資する仕組みが作られることになりました。

各国はIMFに対し、金で25%と自国通貨で75%の出資をしますが、そのうちの、自国通貨での出資分は無条件で借り入れをすることができます。それを超えて融資を受ける場合は、最大で出資額の200%まで借り入れできますが、IMFより、金利引き上げや財政赤字の削減など、厳しい緊縮政策を要求されることになります。

さて、この、ブレトンウッズ体制と呼ばれる新しい世界的な通貨制度に、わが日本円がどのように参加したかを見てみると、日本は1952年にIMFに加盟しました。そして翌年、1ドルが360円となる、1円イコール純金2.46853ミリグラムの交換比率とすることを届け出ました。

日本は、IMF加盟当初は為替管理が認められる14条国としてスタートしましたが、1964年に8条国へ移行しました。

8条国への移行は、日本が戦争からの復興を終え、先進国の仲間入りを果たしたことを意味しますが、1ドル360円のレートのほうは、その後もしばらく続きます。

1ドル360円というのは、最近の円ドルレートと比べれば、円の価値はわずか3分の1だったことになります。この円安を背景にして日本企業は国際的な競争力を得て輸出を伸ばし、また、国内市場では外国製品を排除することで大きな成長を遂げました。これが日本が高度成長を実現した大きな理由のひとつです。

次の章で詳しく述べるように、戦後のアメリカは、ヨーロッパ諸国への復興資金の提供や貿易黒字の減少などにより、国際収支の赤字が状態化し、ブレトンウッズ会合の頃には世界の80%を所持したと言われる金準備がみるみる減っていく事態に陥ります。そこでアメリカは、復興を成し遂げ輸出を伸ばすドイツに攻撃の矛先を向けました。ドイツは、アメリカからの黒字をアメリカからの武器購入で相殺する「オフセット合意」を結ばされ、また、ドイツ・マルクの数度にわたる切り上げを余儀なくされました。

しかし日本は、グラフのように、1965年まで貿易収支は赤字であり、1966年以降も、黒字になってもその金額はごくわずかでした。たくみな為替管理もあって日本の国際収支はほぼ均衡を続けており、ドイツほどのアメリカからの圧力を受けずに済みました。その結果約20年以上にわたって1ドル360円のレートを保つことができました。 ブレトンウッズ会合は日本不在で行われましたが、そこで定められた体制の恩恵を大いに享受したのが日本だったのです。

 


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