香港一国二制度と民衆運動〜コーヒーブレイクしながらわかる
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1. 一国二制度に至るまで
香港のいまの状況を理解するためには、香港の歴史を振り返ってみる必要があります。
大航海時代にポルトガル船が東アジアに進出した当初の東アジアの国際貿易の拠点といえば寧波冲の双嶼でした。双嶼は1548年にミン国政府により破壊され、それ以降はマカオが貿易の中心地となりました。香港は、いまでこそ世界でも有数の貿易都市ですが、およそ200年前までは小さな集落があるだけの、ほとんど何もない土地だったのです。1841年にイギリス海軍がこの地を占領したときにはバランロック、すなわち不毛の岩山と呼んだといいます。
そんな香港を大きく変えることになるのが、イギリスと清朝の間で戦われたアヘン戦争です。1842年、戦争に負けた清はイギリスに対し香港島の割譲や、上海、寧波、福州、アモイ、広州の5港の開港などを約束させられました。いわゆる南京条約です。今の香港や、香港同様小さな漁村に過ぎなかった上海は、南京条約によって誕生した都市なのです。
その後1860年、アロー戦争のあと締結された北京条約で九龍地域もイギリスに割譲されます。さらに、1898年に九龍地域の北側の新界地域が99年間の期限付きでイギリスの租借地となりました。
その後香港は東アジアの貿易・金融の中心地として大発展を遂げました。
1980年代になり、新界地域の租借の期限が近づくとイギリスは中国に租借の延長を求めました。しかし中国は応じず、新界地域の租借期限の遵守だけでなく、割譲した香港島と九龍地域の返還も求めます。小さな岩山である香港島では水が不足し、新界地域を失えば水にも困る状況となってしまうこと、食料のほとんどは広東省からの輸入であること、軍事的に守備が難しいことなどからイギリスはやむなく割譲地も含めて返還することに同意し、1984年、中英連合声明が出されました。
この声明では、中国は一国二制度を採用し、香港の資本主義を50年間維持すること、外交、国防以外は高度な自治を認めること、香港は立法権、行政権、司法権を有することが確認されました。一国二制度を認めることは中国にとっては非常に大きな妥協ですが、香港返還をすみやかに進めるためだけでなく、一国二制度を将来の台湾統一のテコにするという考えがありました。
新界地域の租借期限であった1997年7月1日、香港は中国に返還されました。中英連合声明で確認された一国二制度の原則などは現在の香港の憲法とも言うべき香港特別行政区基本法に引き継がれました。こうして中国の一都市でありながらも、言論の自由や、通貨やパスポートの発行権も持つ今の香港が誕生したのです。
<br />2. 香港返還後の住民の抗議活動
香港特別行政区基本法は、反乱行為などを禁止する条例を香港みずからが制定しなければならないとしています。
香港政府は返還から6年後の2003年に反乱行為などを禁止する国家安全条例の制定を目指しましたが、条例ができれば表現の自由など、民主主義が脅かされると怒った人々がデモを起こしました。デモは50万人が参加する大規模なもので、結局香港政府は条例制定を断念しました。
2012年7月には愛国教育をめぐる抗議デモが発生します。香港政府は学校教育に中国への愛国心を養う新しい教科を導入しようとしましたが、人々は「子供たちを洗脳しようとしている」と反発し、中高生やベビーカーを押す親などがデモに参加しました。参加人数はデモ主催者側発表で9万人にのぼりました。
9月には、現在の香港の民主活動家の中心人物であり、当時高校生だった黄之鋒さんが先頭に立ち、学生らがハンガーストライキを決行しました。当時中学生で、現在は民主の女神とも呼ばれ日本のテレビの取材に流暢な日本語で応える周庭さんも、このときに、黄之鋒さんと同じ学生団体で活動していました。ハンガーストライキのあとすぐに香港政府は愛国教育の必修化を撤回しています。
2014年には、2017年の行政長官選挙をめぐる抗議デモ、雨傘運動が発生します。香港の行政のトップである行政長官の選挙は1200人の選挙委員の選挙により選出される間接選挙ですが、香港特別行政区基本法はその付属文書で2007年以降に選挙制度を変更できることを示唆しています。そのため香港の住民は直接選挙が導入されることを期待し続けており、ようやく2017年の選挙の際に制度が改正される見込みとなりました。
ところが中国の全人代が決定した案では立候補者は指名委員会で過半数の指示を得なければならないとされ、これでは親中国派の人しか立候補できないとして、香港住民は大いに怒りました。
行政長官の直接選挙を求めて、黄之鋒さんや、周庭さんなど若者や、住民が立ち上がり、数万人が香港の中心部を79日間にわたり占拠しました。ちなみに雨傘運動というのは催涙弾や催涙スプレーで排除しようとする警察にデモ参加者が傘で対抗したことからつけられた名称です。
雨傘運動は最終的には香港政府により強制排除されましたが、選挙制度改正案は、立法会で民主派の反対と、新中国派の途中退席により否決されました。
2016年には、中国の共産党に批判的な本を販売していた書店の関係者が相次いで失踪したあと、中国の当局に拘束されていたことがあきらかになりました。また、2017年には香港滞在中に失踪したカナダ国籍の中国人富豪が中国で拘束されていることが明らかになり、住民のあいだで一国二制度が無視され自由が脅かされる恐怖と、中国政府への不審感が強まりました。
そして2019年、香港政府が逃亡犯条例の改正案を議会に提出しました。逃亡犯条例とは国外で犯罪にかかわった容疑者を、その国からの要請に応じて引き渡せるようにする条例のことです。香港はアメリカなど20カ国と協定を結んでいますが、台湾で殺人を犯した男が香港に逃げ帰った事件をきっかけにして、台湾やマカオを含む中国に引き渡しを可能とする改正が目指されました。
これに対し民主派は、香港で中国に批判的な活動をしている人が中国に引き渡されるようになってしまうとして強く反対しました。また、経済界の人々も、中国でのビジネスで不当に犯罪の嫌疑をかけられた場合に中国に引き渡されてしまいかねないと懸念しました。民主派だけでなく経済界も反対したことから、デモの規模はかつてない大きなものに発展しました。
6月9日にデモ主催者発表で100万人を超えるデモが発生します。6月15日にキャリー・ラム行政長官が条例改正審議の無期、延期を表明しますが、翌日には香港住民の4人に1人が参加する、かつてない大規模なデモとなりました。9月4日、行政長官が条例改正案を正式に撤回すると表明し、デモの当初の目的である逃亡犯条例の廃案が達成されました。
しかし、デモの参加者は五大要求を掲げており、一番目の逃亡犯条例改正案の撤廃は達成されたものの、5つの要求はひとつも欠くことはできないと訴え、その後も抗議活動を続けています。デモの参加者と警察との応酬がエスカレートしていき、10月にはデモ隊に向け実弾が発射され高校生が重体となる事態が発生しました。12月8日と元旦には主催者発表で100万人前後が参加するデモが行われ、新型コロナウイルス流行以降も各種の抗議活動が続いています。
3. 米国の香港人権・民主主義法制定
1997年の香港返還のときにアメリカは「アメリカ香港政策法」を制定し、一国二制度が守られるという前提のもと、香港に対し返還後も中国とは異なる、貿易や投資についての優遇を認めることとしました。アメリカ香港政策法は、香港に優遇を与え続けることが妥当かどうかを判断するために、国務長官がアメリカと香港のニ国間関係などについての報告書を毎年作成し議会に提出するとしているのですが、2019年11月にアメリカは、この報告の範囲を大きく拡大する「香港人権・民主主義法」を成立させました。
この法律により国務長官は、香港で言論やSNSを含む出版の自由等が確保されているか、普通選挙の実施状況、人権の尊重状況等についての報告も行うこととされ、また、香港で人を拘留したりなど人権を侵害した人物を特定し、その人物のアメリカへの入国拒否、在米資産の凍結、ビザの取り消しなどの制裁措置を採ることや、逃亡犯引渡条例が制定された場合に香港のアメリカ人を保護すること、中国が直接輸入することができないものを香港を通じて輸入していないか検証を行うことなども規定されています。
香港人権・民主主義法案が議会に提出されたのは、逃亡犯引渡条例導入に対する危機感が広がり、100万人規模のデモが2週連続で行われた2019年の6月のことでした。9月4日に香港政府は逃亡犯引渡条例の導入を正式に断念しましたが、アメリカでの法案審議は続き、11月に上院では全会一致、下院でも賛成417、反対1票で可決されます。逃亡犯引渡条例導入の懸念がなくなったのに圧倒的多数で可決されたのは、アメリカが党派に関わらず香港の人権や民主主義の状況に強い危惧を抱いており、中国への明確な牽制が必要だと考えていることを示しています。ただしトランプ大統領は、米中貿易交渉の第一段階合意の直前だったことから法案に全面的に賛成というわけではなかったようですが、議会で圧倒的多数で可決されたものにひとりで反対するわけにもいかず、「習近平国家主席と香港の人々への敬意を払って署名した。中国や香港の指導者や代表者たちが友好的に和解し、全ての人々にとって長期的な平和と繁栄につながることを願い、これらの法案は成立した」との中国側への配慮をみせる発言をしつつも、11月27日に法案に署名をしました。
これに対し中国は強く反発し、「重大な内政干渉で、あからさまな覇権の行使だ」とアメリカを非難しました。
4. 中国、香港国家安全法導入へ
2020年5月、中国の全人代は、香港での国家の分裂や中央政府の転覆をはかる反体制的な言動、テロ活動、外国の政治団体と関係をもつことなどを禁止する国家安全法を導入する方針を圧倒的多数で承認しました。
先ほどみたように、香港特別行政区基本法の第23条は香港がみずから国家安全法を制定するとしていますが、住民の反発が強く実現していません。そこで中国は、中国の法律を香港に適用することについて規定している基本法第18条を援用することにしたのです。基本法第18条は付表で列挙した中国の法律は香港に適用されるとしており、国旗など儀礼上の法律や外交、防衛に関する法律に並べて国家安全法を記載しようとしているのです。
国家安全法が制定されるのは2020年8月頃であり、その内容はまだわかりませんが、反体制デモは政権転覆をはかるものとみなされ、デモ隊による乱暴な行為はテロ活動とされ、アメリカ政府や議会に民主化支持の呼びかけをすれば外国の政治団体と関係をもつことの禁止に抵触するとされる可能性があります。つまり現在香港で行われている抗議活動はみな取り締まりの対象となり得ます。
また、香港特別行政区基本法によって保証されている住民の権利が侵害されることはないのか、国家、安全関連の事案の終審権を中国がもつことにならないか、中国の情報機関が香港内に設置され住民を直接取り締まるようになるのではないか、といった懸念があり、香港の住民は大きな不安を抱いています。
香港国家安全法が施行されれば、香港での言論や表現の自由が中国なみに厳しく制限され、民主主義が大きく損なわれることになるかもしれません。香港の根底を揺るがす問題であり、昨年の逃亡犯条例の問題よりもずっと重要といって言いでしょう。香港住民の危機感は相当に大きく、今後、2019年を上回る大規模な抗議活動が行われることになりそうです。とはいえ、逃亡犯条例とは異なり今回の抗議の相手は香港政府ではなく中国政府であり、中国政府が住民の意見により一度決めたことを覆すことはよっぽどのことがない限りないので、抗議活動はより激しく暴力的なものとなってしまうかもしれません。
4. 中国はなにを考えているの?
中国が、新型コロナウイルスの爪痕が残るこの時期に香港国家安全法の導入に踏み出したのはなぜでしょうか。
2019年11月に行われた香港の区議会選挙で、民主派が全452議席の80%以上を押さえる圧勝を果たしました。民主派が区議会選で過半数を獲得するのは中国返還後で初めてのことでした。2020年9月には香港の議会である立法会の選挙があるのですが、中国はここで同じ結果になっては絶対にならないと考えているはずです。そこで早急に香港国家安全法を制定し、選挙に向けて行われる抗議活動を抑え込み、また、民主派の人物の立候補を、香港の独立を企図しているなどの理由で妨害するなどして、親中国派が多数議席を確実にとれるようにしようとしているのではないかと考えられます。
では、そもそも中国は、一国二制度の約束に抵触しかねない香港国家安全法を、なぜ制定しようとしているのでしょうか。
それは、中国の習近平政権にとってなによりも大事なことは体制の維持、つまり共産党の指導のもとで国が平穏であることであり、それは国民の自由や経済的な豊かさにまさるものであるからです。香港から民主主義や住民の自由を奪えば資本や人材が国外へ逃避し、中国経済も少なからず影響を受けることになりますが、それよりも、香港での相次ぐデモや自由な言論がSNSなどを通じて中国国内に伝播して、その結果中国の国内情勢が不安定になることのほうがずっと大きな問題だと考えられているのです。
また、香港の経済的な重要度が香港返還のころに比べればずいぶんと小さくなったということも関係しているでしょう。香港返還時には香港のGDPは中国のGDPの15%を占めていましたが、今は2%台となっています。返還から20年以上が過ぎて、その間に上海や深センなどが大いに発展し、香港を自由にさせておく意義は小さくなっているのです。
5. 米中関係はどうなるの?
アメリカのトランプ大統領は「香港にはもはや十分な自治はなく特別扱いに値しない。中国は一国二制度を一国一制度に置き換えた」と中国を強く批判し、アメリカが香港に与えている関税やビザに関する優遇措置を取り消すと明言しました(現在アメリカが中国に科している制裁関税は香港には適用されず、香港住民によるアメリカビザ取得は中国よりも容易)。香港の人権の侵害に関わった人物に対し資産凍結や入国禁止などの制裁を科すとも述べています。
トランプ大統領は新型コロナウイルスの世界的流行をめぐっても中国を厳しく非難しており、米中貿易交渉の第一段階合意で中国が約束した農産品など2000億ドルの追加購入が進んでいないと言って強い不満を示しています。
5月20日には、アメリカに上場する外国企業に外国政府の支配下にないことを証明するよう求め、アメリカの当局による会計監査の状況の検査を義務付ける法案が上院で可決されました。これは実質的に中国企業をアメリカ市場から締め出そうとする内容であり、米中間の緊張を一層高める結果となっています。
マーケット関係者のあいだなどでは、次は米中貿易交渉の第一段階合意の破棄ではないかとの懸念が深まっています。第一段階合意が破棄されれば、アメリカの失業率が1930年代の世界大恐慌以来の最悪の状況にあるなかで、アメリカおよび世界の経済がさらに深刻なダメージを受けると考えられます。
アメリカの今後の出方は、結局のところトランプ大統領が11月の大統領選をにらみ、どう考えるかで決まるでしょう。中国の香港国家安全法導入の動きに対しては、経済を重視して米中貿易交渉第一段階合意の破棄までは踏み込まないこととするか、香港の民主主義をまもるべきとの国内世論や中国への制裁により利益を受ける業界などの声を重視するか、そのどちらが選挙で勝利するのに有利かで決まると思われます。
なお、アメリカの圧力がどんなに強まっても、中国は、経済問題で妥協することはあっても、香港国家安全法の導入について考えを改めることはないと考えられます。
Some clues...
省略(動画本編でご覧ください)