アジア・モンロー主義 | アジアへの欧米等域外からの政治的、経済的干渉を排除するとの考え方。 |
天羽声明 | 天羽英二(あもうえいじ)外務省情報部長が一九三四年四月に記者団に対しておこなった「日華関係を悪化せしめるような外国の作為的行動、たとえば武器や借款の供与などについて日本政府は重大な関心をもっている」との説明。欧米はこれを日本のアジア・モンロー主義宣言とみなし非難した。 |
外貨本位制 | 金本位制では自国通貨を金の一定量と結びつけるが、金の代わりにドル、ポンド等との交換比率を一定にする制度。自国通貨のドルやポンドとの交換比率を一定に保つために通貨当局は十分なドル、ポンドをあらかじめ保持しておく必要がある。なお、ドルやポンドが金本位制を採用していれば金為替本位制と呼ばれ、実質的な金本位制となる(金本位制の項参照)。 |
関東軍 | 大日本帝国陸軍の総軍(軍隊における最上級の編成単位)のひとつで、満洲全域の守備を担う。 |
旧平価 | 第一次世界大戦勃発により各国は金本位制から一時離脱するが、旧平価はその離脱前に採用していた自国通貨の対金レート。ポンドの旧平価は純金一オンス=三ポンド十七シリング十ペンス1/2。日本円は純金七五〇㎎=一円(一オンス=約三十八円) |
金本位制 | ある国の通貨が法律により一定の金の量に結びつけられている制度。通貨当局は法で定められたレートで自国通貨と金との兌換に応じなければならないので、その必要に備えて十分な量の金を保有しておかなければならない。裏を返せば、兌換請求に応じられる範囲内に自国通貨の発行量を抑えなければならず、理論的には、例えば貿易の赤字が続いて金が国外へ流出すれば通貨の発行量が減り、国内物価が下がって輸出品が国際競争力を得る一方で輸入品は割高となるので、貿易収支が均衡に向かうという自動調節メカニズムが働く。 |
銀本位制 | ある国の通貨が法律により一定の銀の量に結びつけられている制度(金本位制の項参照)。 |
行政院長 | 首相に相当。 |
黄埔軍官学校 | 国民党が広州近郊の黄埔(こうほ/フアンプー)に設立した陸軍士官学校。 |
国民革命軍 | 一九二五年から国民党が台湾に逃れるまでのあいだの国民党の軍で、国民党政権下の中国の政府軍でもあった。 |
国民政府 | 国民党が建てた政府。政府所在地の地名(広州、武漢等)を冠して呼ばれることが多い。 |
国民党 | 一九一九年に孫文が中心となって設立された政党。 |
コミンテルン | 共産主義政党の国際統一組織。共産主義インターナショナルの略。 |
財政部長 | 現代の日本でいう財務大臣に相当。 |
財務官 | 大蔵省の国際関係業務を担う次官クラスの役職。第二次大戦前は海外の金融の重要拠点に設置された。 |
三民主義 | 孫文の革命理論。満洲族の王朝である清朝を倒して国内の諸民族の平等を実現し、外国による半植民地状態から脱することを目指す民族主義、民主制を目指す民権主義、地権の平等(農民への土地再配分)や私的独占資本の制限により経済的平等を目指す民生主義から成る。 |
十九路軍 | 国民党・国民政府の陸軍部隊のひとつ。一九三二年の第一次上海事変で日本軍相手に奮戦して有名になった。 |
浙江財閥 | 上海を本拠とする浙江(せっこう/ジャージアン)省や江蘇(こうそ/ジアンスー)省出身の資本家。その資金力を背景に中国経済において強い影響力を有した。 |
銭荘 | せんそう/チエンジュアン。銀と銅銭の両替等をおこなう中国の伝統的な金融機関で、近代では預金・貸付など銀行と同様の業務もおこなった。 |
孫中山・孫逸仙 | 孫文は複数の号をもち、中国では孫中山、欧米では孫逸仙(Sun Yat-senと綴る)と呼ばれるのが一般的。 |
中央銀行 | 国民政府の国有銀行で、〝中央銀行〟は固有名詞だが普通名詞としての中央銀行の機能ももつ。 |
通貨制度 | 一九二〇年代の中国では銀貨、銅貨、紙幣が並行して使用されていた。銀貨には秤量貨幣(貴金属としての価値がそのまま交換価値となる貨幣)である銀塊(単位は「両」。銀塊一両は約三十七・三グラム)と計数貨幣(一定の品位・量目を有し、その個数によって交換価値を計られる貨幣)である銀コイン(単位は「圓」(もしくは「元」))との二系統があった。一圓銀貨は一般的に「大洋」と呼ばれ、それに対して少額銀貨は「小洋」と呼ばれた。単位は「角」。本来角は圓の十分の一を示す通貨単位だが、大洋の銀含有率が九十%前後であったのに対し小洋の銀含有率は七十%程度と大きく品位が劣ったので、やがて一角は〇・一圓以下の価値となり、圓と角とのあいだで交換レートが建てられるようになった。銅貨は各地方政府がばらばらに鋳造したため品質は一定しておらず、需給によって銀貨との交換比率が変動した。紙幣は、一八五〇年前後より進出が相次いだ外国銀行が治外法権を活かして勝手に発行し、一九〇〇年代にはいると外国銀行に倣い中国の商業銀行や地方政府なども、ほとんど規制を受けずに発行した。 |
塘沽協定 | 一九三三年に河北省の塘沽(とうこ/タンクー)で締結された満洲事変後の停戦協定。 |
武漢三鎮 | 長江と漢水の合流地点に川をはさみ相対する漢口、武昌、漢陽の三都市をあわせた呼称。 |
北伐 | 国民党・国民政府による全国統一事業。 |
ポンド・リンク | 自国通貨の対ポンド交換レートを一定にすること。A国の通貨がB国の通貨によりリンクされればA国の企業や個人は為替レートの変動リスクなくB国との貿易や投資をできるメリットがある。また、ある国が経常収支の赤字を出し続ければ対外支払い準備の枯渇を避けるため引き締め政策によって景気を冷やし輸入を減らす等の措置を採らねばならなくなるが、A国はB国との関係において自国通貨でいくらでも決済できるので、そのような制約がない。 |
万宝山問題 | 吉林省長春に近い万宝(まんぽう/マンバオ)山で起きた現地中国人農民と朝鮮人入植者との衝突事件。中国人地主から広面積の借地をした朝鮮人農民が、その開墾地への引水のために伊通(イートン)河に堰を設け開墾地までの用水路を掘ろうとした。現地農民はそれを阻止せんとして武装し、長春県長も巡察隊を繰りだし、他方長春日本領事館が自国民保護を目的として警察隊を派遣して両者が対峙した。朝鮮日報が「両者が七月二日に衝突し多数の朝鮮人死傷者がでた」と報じ、その結果朝鮮で大規模な中国排斥運動が起きた。 |
民生主義 | 孫文の革命理論である三民主義のうちのひとつ(三民主義の項参照)。 |
リットン調査団 | 満洲事変や満洲国の調査のために国際連盟が派遣した調査団。その報告書は、満洲における日本の利益を認め、中国主権のもとで設立される自治政府の外国人顧問や官吏のうち日本人が十分な割合を占めるべきであるとするなど日本にも配慮した内容だったが、満洲国独立を既に承認し、国際的な承認を求めていた日本は報告書に同意せず、国際連盟を脱退した。 |
聯俄容共扶助農工 | 孫文の基本政策のひとつ。ロシアと連携し、共産主義を容認し、農民・労働者を扶助する、の意。 |
廬山 | ろざん/ルーシャン。江西省九江の南に位置する山地。標高は千メートルを超え真夏でも涼しく、十九世紀末よりイギリス人が、北伐軍が廬山周辺を勢力下に収めてからは中華民国政府要人が多数避暑に訪れた。
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