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『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第1141〜1200段落

本ページで『カレンシー・レボリューション』 第1141〜1200段落を立ち読みいただくことができます。

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 エドマンドはカップをとり茶をすすり、

(たしかに日本の茶よりも中国茶のほうがわれわれの茶に近いな)

と思った。

 小島は、幣制改革の進捗状況の説明を望んだ。

 エドマンドは、目標としている為替レートのような情報は除きつつも、ときに「これは記事にしないように」と注をつけつつ他の新聞に話していない内容をも含めて詳細に説明した。

 銀行券発券機能は中央銀行に限らず中国、交通の両行にも付与する予定であることを述べたとき、小島が、「ああ、やはりそうですか」といった。

 エドマンドが、

「『やはり』とはどういうことですか。わが国や日本と同様にセントラル・バンクのみが紙幣発券機能を有するというのが常識的な考え方ですが」

「これまでの流れをみていると、そうなると予想された、ということです」

「中国銀行が発券機能を有するとなると、世論は、みずからが総裁を務める宋子文は自分の利益のために財政部長に強いてそうさせたと考えるのではないでしょうか」

「TVはそんな男ではないですよ」

「ご友人を侮辱したように聞こえたのならば謝ります。僕も彼がそのような人物ではないと感じています。しかし国民はそうは思わないでしょう。彼はこの国の歴史に残る偉大な業績を成すひとでしょう。しかしこのことがもとでそうならなくなる恐れがあります」

「彼は歴史に名を残そうなどと思っていませんよ。ただ、この国を豊かにしたいと思っているだけです。誰になんといわれようとも、どのような反対に会おうとも、この国を豊かにするために走り続けているのです」

 そういわれても納得できないエドマンドは、

「もう少し詳しく話を聞かせてください」

と促した。

「カレンシー・リフォームの第一歩として一九三三年には、テール(銀塊)と銀貨の両方が取引に使われていた状況をあらため後者に統一したことはご存知ですね」

「TVは、テールの廃止に五年もかかってしまった、といっていました」

「社会を変えようとすれば必ずそれに反対する者がいます。改革が大きければ大きいほど、改革により損害を被る者の数も、損害の程度も大きくなります。テール廃止のためにはギルドのような特権を有していたテール鋳造業者から鋳造・発行の権限を奪わねばなりませんでした。テールと銀貨との両替で大きな利益を得ていた両替商たちは大きな損を被ることになりました」

「彼らの強い抵抗があったにもかかわらず、それをはねのけ、国民の利益となるテール廃止を実現した、と」

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「そうです。そして今年四月には中国、交通両行の政府持ち株比率を五十%以上にし、役員を政府から派遣して、中国銀行董事長の椅子にはTVが座ったのですが、これには中国銀行董事長であった張嘉権(ジャンジアチュエン)をはじめとする浙江財閥が猛然と反対しました。上海の銀行家や両替商のほとんどが浙江財閥であり。浙江財閥で最大の大物が前中国銀行董事長の張嘉権です。浙江財閥は国民政府の、いつ紙切になるかもわからない公債を大量に買って国民政府を支えてきました。浙江財閥の協力がなければ国民政府は国を統一できなかったでしょうし、蒋介石がいまあるのも浙江財閥のおかげといっていい。しかし、カレンシー・リフォームを成すためには浙江財閥と対立しなければなりません。民間銀行から紙幣発行権限を剥奪しなければなりませんし、金融機関から銀関連業務を奪うので、両替商など中小の金融機関の多くが閉鎖に追いこまれます。中国銀行、交通銀行の国有化は三月末にTVと蒋介石、孔祥煕の三者だけで密室で決められたようですが、それは浙江財閥の政治力を封じるためでしょう。密室でTVは蒋介石に浙江財閥との決別を迫ったのでしょうけれども、蒋介石はTVが国民の利益のみを考える男であるからこそ従ったのだと思います。TVにしても、彼は浙江財閥から絶大な信頼を得ていましたから、それを裏切ることは非常な苦しみだったはずです」

「なるほど。少しわかったような気がします。宋子文という人間が」

とエドマンドがうなずくと、小島は、

「昨日、まったく同じようにうなずいたひとがいましたよ」

と笑った。

「同じように?」

「昨日、わが国陸軍経理部のメイジャー(少佐)が尋ねてきたのですよ。ちょうどいま話したようなことを話したら、全く同じようにうなずいていました」

「名前は?」

「ええと、確か──」

 エドマンドは、小島と同時に「モリオ」といった。

「あれ、ご存知なのですか」

「東京で会いました。いったい彼はなにをしに上海に」

「金融市場状況の調査、といっていましたが──」

と、小島は語尾をのばしていった。

「日本軍がカレンシー・リフォームの成功をおそれているのであれば、まさか改革を妨害するために」

「それはどうでしょう。カレンシー・リフォームは時間がかかりながらも着実に進められているという話をしたら納得していましたよ。妨害するとしても、それは容易ではないことはわかっているでしょう」小島はことばを区切り一瞬考えてから、「ただ、これは未確認の情報なのですけれども。ご承知のとおり、このところ元の為替レートが暴落していますが、横浜正金銀行と朝鮮銀行が率先して元を売り、相場を崩しているようなのです。そしてそれは、どうやら軍の指示に従っているのではないかと」

「まさか──」

「そして、その旗を振っているのがメイジャー森尾なのかもしれません。相場下落が始まったのはリース=ロス卿が上海にはいった直後ですが、メイジャー森尾はリース=ロス卿を追うように上海にはいっており、彼の上海入りの直後に相場が下がり始めたということもできます」

 確かに昨今の相場下落が日本軍主導であることはあり得ることであり、森尾が上海にきたころに相場下落が始まったのだから、彼がその引き金を引いたということは十分に考えられる。

 指のつけ根を噛みながら考えるエドマンドに小島は提案した。

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「直接会って話を訊いてみてはどうですか。僕のほうからアポイントメントをとりますよ。彼もあなたに会いたいと思うでしょう」

「それはありがたい。ぜひ」

 エドマンドは、重光外務次官との会見のときに、森尾が「また会うことになるでしょう」と意味ありげに笑っていたことを思いだした。

 孔祥煕は疲れている。

 仕事より家族と過ごす時間に数段うえの価値をおく孔祥煕は、常ならば朝十時過ぎに財政部の部長室に着き、午後は三時過ぎには自宅に戻るのだが、リース=ロスが上海にはいった九月下旬以降、働く時間が普段の二倍以上になっている。

 珍しくリース=ロスらとのミーティングがなく、久しぶりに陽のあるうちに自宅に帰ろうと身支度をしていると、秘書が来訪者のあることを告げた。

 事前のアポイントメントがない。孔祥煕は不快げな顔をして、誰がきたかも訊かずに「だめだ、だめだ。追い返せ」と秘書をどなりつけたが、秘書は主人のいいなりにならずに来訪者の名を告げた。

 すぐに孔祥煕はいつもの柔和で好好爺然とした顔につくりかえた。そして、来訪者を部長室に迎え入れた。

 訪ねてきたのは杜月笙である。

 杜月笙の表情は孔祥煕とは対照的に険しく、挨拶のことばもなく突然奇妙なことをいった。

「太太(タイタイ)にみごとに騙されたよ。まったくひどいめにあった」

「なんです、いきなり。なにをおっしゃっているのですか」

「太太のことばを聞いてポンドを売ったら大損だよ。二十五万ポンド以上を売って五万ポンド近く損をだしてしまった」

「五、五万ポンド?」

 孔祥煕の声が裏返った。一ポンドは約十七円で、当時の一円は現代の千円強の価値があるとすれば、杜月笙は現代の価値で約五十億円投資し、約十億円損をしたといっているのだ。

「私でも、さすがに五万ポンドは痛い」

 杜月笙の口調は穏やかだが、地上に獲物をみつけて旋回する鳶のような目で睨みつけている。この目をみて怯まぬものはいない。

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