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『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第1381〜1440段落

本ページで『カレンシー・レボリューション』 第1381〜1440段落を立ち読みいただくことができます。

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「幣制改革がハーフ・クックドで実施されたとして、その先はどうなると思う」

と、問いで返した。エドマンドはやむなく答えて、

「外貨準備が足りないことを知る投機家は為替攻撃を仕掛け、それに対抗できるだけの十分な介入資金をもたない政府は元の下落を放置せざるを得なくなる。元が急落して、紙幣をモノに変えようとする動きがひどくなり、農民は農作物を売り惜しむようになるだろう。輸入品の物価も高騰する。軍事に無限にカネを必要とする蒋介石は紙幣増発を要求するだろうが、その要求をはねつける仕組みの整備がまにあわずに離陸した新通貨制度では、インフレーションが、それも、かなりひどいインフレーションが起きる──」

 エドマンドの背中で小島がいった。

「金利は高騰し、企業は苦境に陥る。失業の大量発生。金融恐慌だな」

 エドマンドが森尾の目を見て

「それがきみの狙いか。この国の恐慌が」

というと、森尾は答えず、グラスを持ち上げビールでのどを潤した。エドマンドが続けて、

「恐慌。通貨の大幅下落。すると国民政府は対外債務を返済できなくなり破綻に至るかもしれない。そこですかさず日本から援助の手をさしのべ、引き換えに土地を、つまり、華北の地を得る。それがきみの狙いか」

 グラスを置いた森尾は短く、

「どうかな」

といった。

「なんというばかげたことを考えるのだ」と、エドマンドは嘆息した。「僕がきみをメイジャーと呼ばずにドクターと呼ぶのはきみがエコノミストだと思っているからだ。きみはいったいアメリカに留学してなにを学んだのだ。経済学のひとつの目的は人々の幸福を最大にすることだ。それなのにきみは──」

 森尾は苦みのある笑いを浮かべ、

「戦争でさえも自国民の利益のためにおこなわれる。僕が考えていることも、日本国民の幸福を最大にするという観点からは正しいのではないかな」

「日本と中国、両国民が豊かになる政策を考えるべきだ」

「みな自分のことしか考えていないよ」と、森尾は教え諭すような口調でいった。「アメリカ大統領は自国の銀産出業界のことのみを考えて銀価格を吊り上げ中国を苦しめている。アメリカ国務省は日本との摩擦をおそれて、これも中国に手をさしのべようとしない。イギリス外務省もアメリカ国務省と同じだな。きみの出身のイギリス大蔵省はどうか。中国経済建て直しが必要と考えているといっても、自国の権益保全のためだ。それにイギリス大蔵省の場合は、さらにもうひとつの考えがあるようだし」

「どういう意味だ」

「中国をスターリング・ブロックに入れたいと考えているのだろう。元のポンド・リンクをローンの条件にしようと考えている。そうだろう」

「いや。それは──」

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 エドマンドはことばを詰まらせた。ポンド・リンクが条件であると自分は聞いていないが、リース=ロスは大蔵省にそういわれて中国にきているようにみえる。宋子文や孔祥煕らとのミーティングにおいてリース=ロスはポンド・リンクにこだわりをみせていた。

「アメリカ財務省もドル・リンクを銀買い取りの条件としているのだろう。つまりイギリスとアメリカは中国を援助するような顔をしつつ、実のところは通貨の覇権争いをやっているわけだ」

 ことばを継げないエドマンドをみて森尾が続けていった。

「アメリカにしろイギリスにしろ、結局は自国のことしか考えていない。むろん日本もそうであって、僕の考えが間違いであるといいきることはできまい」

「いや、間違っている。きみはアメリカで競争について学んだだろうが、その競争は破戒をともなうものではなかったはずだ。きみは自国の利益のために他国に破戒をもたらそうとしている」

 森尾はカウンターの向こうの壁ぎわに並べられた酒のボトルのほうをみて、口を噤んだ。エドマンドは森尾のほうに半身になって、

「ではきみは、中国にカレンシー・ウォーを仕掛けようとしているというのか」

といった。森尾は前をみつめたままで、間を置いてから、答えた。

「そう考えてもらっても構わない。まあ、カレンシー・リフォームが中途半端に実施されても、実際に国民政府が破綻したり悪性のインフレーションが発生するかどうかはわからない。ただ、この国の経済をなるべく脆弱な状態においておけば、将来おこなわれるであろう経済戦において、わが国は有利に戦えることになる」

 エドマンドはためいきをつき、

「メイジャー森尾。きみの考えはわかったよ。きみとはこれから通貨をめぐって長い勝負をすることになるということなのか」

「ゴルフでは負けたけれどもね」

と森尾がいった。森尾も密かにスコアを数えていたのだ。

 森尾はそういって笑ったが、どこか寂しげな笑いだった。

 すでにビール三杯目にはいっている小島の顔にも笑顔はなかった。

改革前夜

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 リース=ロスが十月九日にイギリス本国に送った一千万ポンドの借款要請は、外務省、大蔵省、イングランド銀行の間で検討され、三者合意の電文は、十月二十四日にホーア外相名でリース=ロス宛に送付された。

 要請から回答までに二週間もの時間が過ぎている。リース=ロスは、最初の一週間は、彼の提案が政府内で相当に否定的に捉えられているための遅延だと考えていたが、次の一週間は、外務省の反対に対して大蔵省がときをかけて借款の必要性を説いているのであろうと考え、結果は悪いものではないかもしれないと、多少の楽観を抱いて返事を待った。

 ところが回答内容はリース=ロスの期待を裏切るものだった。

 電文は冒頭で、〈カレンシー・リフォームのスキームはエクセレント〉と評価し、一定の条件のもとで一千万ポンドから一千二百万ポンドの長期ローンが実行され、リース=ロスの希望は満たされるだろう、としている。

 しかし続けて、〈日本との協調は必須〉とし、リース=ロスが再度日本を訪問し、その結果を待って最終判断をくだす、とした。

 リース=ロスのロンドン出発前から外務省は日本抜きでの中国支援に反対し、イギリス単独でも借款をおこなうべきと考えるチェンバレン蔵相やイングランド銀行総裁等と対立していたが、結局大蔵省・イングランド銀行側が外務省側の考えを受け入れたのである。

 リース=ロスは自身で日本の消極姿勢に触れ、日本の協力が得られる望みは極めて薄いと思うに至っている。すなわち、イギリスからの借款は不可といわれたようなものだった。

 リース=ロスがこの電報を受け取ったのは二十五日金曜日の早朝である。日本の協力が得られる可能性は低いと思いつつもほかに道がないと考えたリース=ロスは日本大使館に連絡を入れ、大使にアポイントを求めた。週末に汽車で南京へ移動し、週明け二十八日月曜日にカドガン大使とともに有吉大使に面会した。

 対中借款への日本の参画可能性について問うと有吉大使は、「日本としては、日本の利益を損なわず、中国にわざわいをもたらさず、東アジアの平穏を害さない方法による援助ならば反対するものではありません」と曖昧に答え、「具体的な案をみせていただかない限り、日本は賛否を申せません」と、リース=ロスの側にボールを投げ返す形にして、追い返すように会見を終わらせた。

 有吉の態度を、ただ単に時間を引きのばそうとしているだけと捉えたリース=ロスは、その日のうちに対中借款案を書面にし、翌二十九日に再び大使に面会し案をぶつけた。

 リース=ロスは書面で、金額については一千万ポンドが適当であるとし、調達された外貨は外国為替市場の安定に使用され、関税収入を担保として他の債権に対し優先して返済されるとした。そして、日本政府が日本の銀行の借款参加を認可し保証することができるかどうかを尋ねた。

 借款の詳細について口頭で、

「期限はなるべく長期としましょう。少なくとも三十五年と考えています。利率は五%程度。関税収入を担保に充てますが、現在関税収入からの返済順位は国外債が一位、国内債が二位となっており、このローンは国内債より優先される位置づけとします。税関はわが国の指導下にありまので、タバコ専売による利益などを税関の管理下におき、ローン返済に充てる財源の確保をはかることも考えています」

 さらに、

「外国為替市場安定のために資金を供与しても、ハイパー・インフレーションが発生するようなことがあればせっかくの資金は消えてなくなってしまいます」とし、適切なマクロ・コントロールの必要性を強調してから、「通貨供給が適切になされるよう、中央銀行に外国人顧問を登用させることや、監督委員会をつくり、そのメンバーに外国銀行家を加えることなどを考えています」

と述べた。外国人顧問や監督委員会メンバーに日本人が登用されれば、中国経済への進出をもくろむ日本に大きなメリットがある、とにおわせたのである。

 リース=ロスの説明のあいだ、有吉は無言で書面に視線を落としていた。眉間にははっきりとわかる皺を寄せている。リース=ロスは、その表情をみて、

(粗を探している)

と感じた。有吉が問うた。

「この案は、中国政府は承諾済みと考えてよろしいのでしょうか」

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