『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第1441〜1500段落
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「中国政府全体が私の案に賛成しているのかどうかはわかりませんが、宋子文と孔祥煕財政部長と直接話しあっており、彼らはこの案に賛同しています。蒋介石や汪兆銘と会見したとき、金融に関して全ては宋子文と話してくれという態度でしたので、本案は中国政府全体の意思と考えてよろしいでしょう」
「外国為替市場の不安定は投機家の策動によるものであり、一千万ポンド程度のローンでは彼らを抑えることはできないのではないでしょうか」
「投機家はさほど大きな資金を有しているわけではありません。一千万ポンドもあれば少なくとも二、三年は問題ないでしょう。その先はわかりませんが、世界情勢が不安定ないま、あまり遠い将来のことを論じてもむだと考えます」
「国内債に対して優先されるとした場合、国内債が売り叩かれ、暴落する危険があるのではないですか」
この点については子文も同様の懸念を示していた。当然の指摘といっていい。
「確かにそのリスクはあります。しかし中国の現状では、そうしなければこのローンに賛同を得ることはできません。優先権を与えることはローン成功の必要条件といわざるを得ないでしょう。ただ、五%程度の利率なら、毎年の返済額は現在の関税収入で十分に賄える規模であり、国内債のデフォルトのリスクを高めるほどのものではありません。中国経済の安定につながるとして、国内債は却って値上がりするかもしれないと私は考えています」
やや楽観的に過ぎる感もあったが、リース=ロスは不安をみせずにそういった。
そのあとも有吉が短く質問しリース=ロスが詳しく答えるということが繰り返された。有吉は新たな質問をするばかりで、相手の回答を聞いてその回答に対して再度質問するということは一度もなかった。なにかを知るために質問をしているのではなく、会見の時間を埋めるために質問しているのだ。
(やはり日本からいい答えは得られない)
リース=ロスはあらためて思いつつ、日本大使館をあとにした。
このあと有吉大使は広田外相宛にリース=ロス書簡を転送し、また、十月二十九日午後発電で、二日間にわたる会見の模様を報告し、リース=ロスへの回答ぶりを求めた。
これに対する日本政府からの回訓はなかった。
リース=ロスと有吉大使の会見の三日後、カドガン大使が有吉を訪ね日本政府の回答内容を尋ねたが、有吉は「本件に対する日本政府の意識はさほど切迫したものではありません」と答えただけだった。
十月三十日正午。この日の幣制改革に関する英中ミーティングは上海の宋子文邸でおこなわれた。
ミーティングは十月上旬から中旬にかけてはほぼ毎日開かれたが、幣制改革の内容が詰まり、あとはアメリカへの銀売却交渉妥結とイギリスからの借款実施を待つだけとなってからは数日に一度の頻度となっている。この日も、リース=ロスが南京にいき不在だったことなどから五日ぶりの会合である。
リース=ロスは、有吉大使との会見が不調で日本の協力は得られるみこみはなく、ゆえにイギリスからの借款は当面期待できなくなったと、苦い顔で報告した。
全文は 【単行本】小説集カレンシー・レボリューション でお読みいただけます。 |
メンバーは顔をしかめて聞いたが、驚きの表情ではなく、あらためて落胆したわけでもなかった。日本が借款に協力しないであろうということはすでに予想されていた。エドマンドは、リース=ロスが有吉大使に会うことは全くの時間のむだだと思っていた。
メンバーを驚かせ、意気を沈ませたのはエドマンドの報告である。
エドマンドは森尾との会話の内容を述べて、
「メイジャー森尾ひとりの考えなのかもしれませんが、日本がカレンシー・リフォームを中途半端な状態で実行させようとしているのであれば問題です。元を暴落させて、政府を対外債務で押しつぶし、ハイパー・インフレーションを引き起こそうとしているのかもしれません」
「ど、どうするのだ」
と、孔祥煕は狼狽していった。ロジャースが、
「きみの国への銀売却、それを急がねばならない」
と、ヤングに尖った声でいった。銀売却交渉については、十月八日に孔祥煕から施肇基(シージャオジー)駐米公使を通じてアメリカ政府に対して、幣制改革実行のために多量の銀を売却したい旨が伝えられている。
ヤングが交渉の進捗状況を説明した。
「四日前、財政部長名で施肇基公使に対し、為替安定基金として使用するために、二ヶ月以内に銀五千万オンス、続く四ヶ月以内に銀五千万オンスを売却し、さらにその六ヶ月以内に追加で銀一億オンス売却できるオプションを獲得する交渉をおこなうよう訓令した。この内容は一昨日に施肇基公使よりモーゲンソー財務長官に直接伝えられた」
「それで、モーゲンソーはなんと」
と、リース=ロスが訊いた。
「『検討しよう』といって、カレンシー・リフォーム実行案を提出するよう求めました」
「『検討しよう』というのは、前向きと捉えていいのだろうか、それとも、当面イエスということはできない、という意味だろうか」
「それはわかりません。ただ、いままでのアメリカの態度から考えれば後者である可能性が高いように思われます」
リース=ロスは、
「われわれはもはやアメリカへの銀売却に期待するのをやめなければならないのではないだろうか」
といった。その唐突なことばにエドマンドは驚きリース=ロスの顔をみた。森尾がいっていたように、イギリス大蔵省は元をポンドにリンクさせようと考えており、リース=ロスはその密命を帯びていて、ポンド借款より先にアメリカへの銀売却が成立することを懸念しているのかもしれない。アメリカへの銀売却が先となれば元はドルにリンクすることになるだろう。
リース=ロスのことばをエドマンドと同様に捉えたのか、ヤングがリース=ロスに食ってかかった。
「私はアメリカへの銀売却はできないとはいっていません。モーゲンソー財務長官の『検討しよう』ということばは、前向きな意味合いをもつのかもしれません」
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「合計二億オンスの銀購入はアメリカ政府にとっても負担だ。アメリカにとっては中国が誰にも銀を売らずに大事に持ち続けることが一番いいのだ。そうすれば財政負担を生じずに銀価格を高く保つことができる。アメリカは、カレンシー・リフォームの詳細プログラム提出を求めるなどして時間稼ぎをしているのだよ。彼らに購入する意思はもともとない」
ヤングがすぐにことばを返し、
「それはなんともいえません。待たせ続ければ中国はついにはマーケットで銀を売り銀価格を崩すかもしれないと恐れ、銀購入を早急に実施しなければならないと考えているかもしれません」
「ともかく──」エドマンドがふたりの口論に割ってはいった。「いまは危険な状態だ。いまなにか大きな事件が発生すれば経済は大混乱に陥る。取りつけ騒ぎが発生し、金融機関が破綻して、民衆は一瞬のうちに資産を失い、街には失業が溢れることになる。一九二九年のウォール・ストリートでのクラッシュを契機に中国を除く世界各地でおこった状況が、ここ中国で再現されることになる。この国では大きな事件などいつ起こるかわからない。明日にも政府要人が暗殺されるかもしれないし、日本軍が長城を越えてくるかもしれない。銀売却交渉妥結やローン成立の前に大きな事件が起こったときのことを考えておかねばならない」
「大きな事件があれば──」と、今日はひとことも声を発していなかった子文が口を開いた。「即座にカレンシー・リフォームを実行しようと思う」
リース=ロスがすかさず反論する。
「しかし、潤沢な外貨準備を持たずして改革を断行すれば為替マーケットは投機に晒され暴落するに相違ない。銀とのリンクを切られ、為替介入もなされないのであれば、この国の通貨はオールもなく嵐の大海にでたボートのように、もみくちゃにされた挙句に深海に沈んでしまう」
子文がいった。
「確かに外貨を持たずに改革を断行すれば、マーケット参加者はリーガル・テンダー(法定貨幣。つまり、幣制改革実行後の新しい元通貨のこと。中国語では〝法幣〟とよばれる)にはなんの価値の裏づけもないと不安になり、マーケットは危機に晒されるかもしれません。しかし、銀の国有化を早急に進めてセントラル・バンクの金庫に銀を積み上げればマーケットの不安はやわらぐでしょう。ドルもポンドももっていない状態であることには変わりがありませんが、アメリカに対する銀売却交渉が順調に進んでいると新聞にリークしましょう。むろん『順調』という部分は事実ではありませんが」
リース=ロスは首を振り、
「このミーティングで以前も話題となったが、日本の影響の強い華北については日本の横やりがはいるだろうからあてにはならない。治外法権を有する外国銀行は国民政府の命に応じる義務はなく、自発的に銀を供出させるしかないが、カレンシー・リフォームの成功を信じて銀をリーガル・テンダーに交換しようとする外国銀行は皆無だろう」
子文は表情を変えずに、
「以前も申しましたが、貴国の銀行が銀拠出に応じてくれさえすればいいのです。上海の国内銀行とイギリスの銀行が銀を供出すればカレンシー・リフォーム後の一時的なショックは吸収することができますし、イギリスの銀行が国民政府の要請に応じたとの報が流れれば、人々はイギリスが全面的に協力していると考え、不安を大いにやわらげるでしょう。他の外国銀行も、日本の銀行は例外としても、イギリスに倣って銀供出に応じるかもしれない。マーケットは政府に蓄積された銀をみて、政府は当面為替介入する体力を有していると考えるでしょう。そのあいだにアメリカへの銀売却かイギリスからのローンが得られれば、もはやカレンシー・リフォームは軌道に乗ること、間違いないでしょう」
すなわち子文は、イギリス系銀行が銀売却に応じれば幣制改革は成功すると断言したようなものだが、リース=ロスはやや慌てたように、
「銀を供出するかどうかは各銀行が判断することだ。私にはどうしようもない」
といった。対する子文は、
「ぜひ説得してみてください。お願いします」
というのみだが、穏やかな口調ながらも目は恫喝するように、まっすぐにリース=ロスの目をみていた。
孔祥煕がいった。
「イギリスやアメリカとの交渉進行中に改革を実行するのはいかがなものだろうか。カレンシー・リフォームのために必要だということで交渉をおこなっているのに、いずれの交渉も妥結せずに改革を断行すれば外交儀礼にもとるとされる恐れがあるし、もはや中国への支援は必要なしと結論されてしまうかもしれない」
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