『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第1621〜1680段落
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「では、そのように準備いたします」
といって口もとで笑った。
蒋介石は再び「うむ」といって小さくうなずいた。
エドマンドがロジャースとキャセイ・ホテルのダイニング・ルームでディナーをとっていると、慌てた表情のリース=ロスがダイニング・ルームにはいってきた。リース=ロスはダイニング・ルームをみわたして、エドマンドたちの姿をみつけるや小走りにテーブルに近づいてきた。
「サー。どうされましたか。ずいぶんと慌てているご様子ですが」
と、エドマンドはナイフとフォークを両手に握ったままで訊いた。リース=ロスは、
「たったいまTVから電話があった」
と、息を切らしていった。
「緊急の用件ですか」
とエドマンドが訊くと、リース=ロスは口を開き、なにかをいおうとしたが、音を発しなかった。そして左右をみて、
「ここでは話せない。私の部屋にきてくれたまえ」
といった。ロジャースが手をつけ始めたばかりの皿に目をやると、それに気づいたリース=ロスは「いますぐにだ」と命令口調でいった。
ふたりはテーブルのパンを手にとりコーヒーを口に含んで、出口に向かって速足で歩き始めたリース=ロスの背中を追った。
部屋にはいるやいなやリース=ロスがいった。
「さきほどTVが電話を掛けてきた。カレンシー・リフォームを断行するといってきた。週明けすぐ、すなわち来週月曜日にやるといっている」
ロジャースが目を瞠った。
「ずいぶんと急ですね。なにか事件が起きたのですか」
全文は 【単行本】小説集カレンシー・レボリューション でお読みいただけます。 |
「わからない。しかし事件が起きたという情報はない。元の下落がもはや限度を超え、早急に改革案を公表しマーケットを鎮めなければならないという判断なのかもしれない」
ロジャースがいった。
「大事件でもない限りローン、銀売却は必須であるということについては、さんざん議論してきたではないですか。それなしで改革を断行したらどんなことになるかわかりません」
「私も同じことをTVにいったよ。しかし彼は聞く耳をもたなかった。ただ彼は『グリーン・ライトが灯った』といった。うえの誰かが彼に改革実行を指示したことを意味するのだろうが、この国の金融のことはなんでも彼ひとりで決めるのだと思いこんでいただけに、少し意外ではあった」
「うえの誰かとは?孔祥煕ですか」
と、ロジャースがいぶかしげにいうと、エドマンドが、
「TVにとって孔祥煕はうえではないよ。TVに指示をだし、TVが従う相手といえば、蒋介石しかいない」
と否定した。
「誰の指示かは重要ではない」と、リース=ロスはふたりの推測を遮って、「TVはカレンシー・リフォームの一環として月曜日の朝に銀の国有化を宣言するといっている。よって早急にわが国銀行に対して、中国政府の要請に従って銀を拠出するよう交渉してくれといってきた」
ロジャースは怒りをあらわにして、
「これまでカレンシー・リフォームの内容のみならずタイミングについてもミーティングをかさねて議論をしてきました。それなのに突然一方的に改革の実行を告げられるというのは納得できません」
「私もそう思ったさ。しかしこればかりはやむを得ない。改革をおこなうのは彼らであって、われわれではないのだから。彼らがわれわれに断りなく決めたからといって、結局は受け入れるしかない。ただ私は、彼らは未だポンド・リンクを約束しておらず、このまま改革が断行されればポンド・リンクは永遠に得られなくなるだろうということを懸念している。だから、『わが国の銀行に銀拠出に応じさせるためにもポンド・リンクが必要だ』といった」
銀で預金をおこなった者が預金を引きだそうとするとき、銀と銀行券の価値がいつでも同じという約束がなされていれば預金者は銀のかわりに銀行券で払いだされても損をしない。しかし兌換が停止されればもはや銀と銀行券とは全く別のものであり、銀でなされた預金が価値のゆくえの知れない法幣(法定貨幣、すなわち新通貨のこと。〝リーガル・テンダー〟と同意)で払いだされることに納得はしない。ゆえにリース=ロスは、銀預金を法幣で払いだすためには、せめて法幣がポンドにリンクしていなければ預金者の納得を得ることはできず、預金者が納得しなければ銀行は手持ちの銀を手放すことはできない、と訴えたのだ。
「それでTVはなんと?」
とエドマンドが訊くと、リース=ロスは、
「最初にソーリーとはいったが、ポンド・リンクについては一切口にせず、ただ、『イギリスの銀行を説得してほしい』と繰り返すのみだった。そして、イギリスの銀行が従うこととなれば、日本を除くその他の国も追従するに違いない、と。有無をいわさぬ口調だった。それで私はやむをえず銀行に訊いてみることを約束し電話を切った」
ロジャースは明らかな怒りの色を顔に浮かべている。エドマンドは
「わかりました。では明日金曜日の朝から各行をまわって話してみましょう」
とうなずいた。
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南京陸家巷(ルージアシアン)。
晨光(チェングアン)通詢社の小さな事務所がはいる建物の一階にある食堂で、四人の男とひとりの女が円卓を囲んでいる。
さきほどまで酒杯をなんども交わし、肩を抱きあい、声をあわせて歌って騒いでいたが、円卓一面に広げられた料理がなくなると、深夜の雷雨が上がったあとのように静かになった。
晨光通詢社は今日で閉鎖し、明日はみながここを離れる。すなわち五人全員のための別れの会なのだが、宴の中心は、そのなかでひとりだけ遥か彼方に旅立つ孫鳳鳴であった。
孫鳳鳴の妻、蔡琪琳(ツァイチーリン)は宴の最初から泣き、途中笑顔もみせたが、いままた大粒の涙を流している。
六中全会の警備はいつにも増して厳重で、取材許可証が一枚しか発給されない。男四人の分の取材許可証を申請したのだが、一枚しか発給されないとなれば、そのひとりは過去に十九路軍に属し拳銃の名手ともいわれた孫鳳鳴に必然的に決まる。
明日孫鳳鳴は標的に可能な限り近づいて引き金を引く。ゆえに、事後に逃走できる可能性はほとんどない。その場で射殺されることになるだろう。そうでなくても生きながらえることはない。逮捕されれば厳しい尋問がなされようが、仲間や黒幕を吐くことがないよう、自殺用の毒薬を携帯するのだ。
孫鳳鳴は泣き続ける蔡琪琳の肩をさすりながら燕克治にいった。
「くれぐれも頼む。死ぬことなどまったく怖くないが、彼女のことだけが気掛かりなんだ」
孫鳳鳴が今夜こういったのは、もう何度目だろうか。燕克治は首を縦に繰り返し振って、
「だいじょうぶだ。だいじょうぶだ。王首領のところまで確実に送り届けるさ」
孫鳳鳴を除く四人は今夜のうちに南京を離れる。燕克治は蔡琪琳を伴い汽車で上海にでて、そこから汽船で香港へ向かう手はずになっている。
蔡琪琳が細い身体から絞りだすような声でいった。
「わたしはいやよ。ここを離れない。ここで待つわ」
孫鳳鳴は蔡琪琳の肩をポンポンと叩き、
「わがままをいうなよ。ここにいれば危ない。明日蒋介石をやったあとに逃げることができたなら、必ず香港に迎えにいく。あちらで待っていてくれ」
むろん、慰めのことばである。
「どうして取材許可証が一枚しか発給されないのよ。ひとりではいかせられない。おかしいじゃないの。普通は記者とカメラとのふたりでしょう」
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