『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第1801〜1860段落
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と考えていた。蒋介石が軍事、汪兆銘がそれ以外を担うという役割分担ができており、また日本への融和的な政策に対する批判はもっぱら汪兆銘に向けられ、汪兆銘は蒋介石のいわば盾のような存在だ。いま汪兆銘が倒れれば蒋介石は国政全般を担わなければならなくなり、かつ対日政策についての批判を全身で浴びなければならなくなる。
ただ一方で、記念撮影の場に蒋介石がいなかったことを偶然のひとことでは片づけ難い。それに、小島とすれ違ったときにみせた蒋介石の表情はなんだったのか。
横たわる汪兆銘の顔のそばで蒋介石がなにかをいっている。汪兆銘の顔が蒋介石のほうを向いているところをみると、息はあるようだ。
小島は車のしたに放置されたままの孔祥煕を助けにいった。引っぱりだすとき、引っ掛かっていた馬褂(マーグア)(長衣のうえに着る礼服)の袖が引きちぎれた。孔祥煕が半分になった袖をみて恥ずかしそうに笑ったとき、小島は後方から腕をつかまれた。
小島は衛兵により拘束された。
汪兆銘は中央医院(現南京軍区南京総医院)に運ばれた。
汪兆銘を襲った弾丸のうち、一発目が左の耳のうえで止まっており、二発目は左腕を貫通、背中からはいった三発目は第五胸椎のそばで止まっていた。いずれの弾も急所を外れ、汪兆銘は奇跡的に死を免れた。応急の処置がなされ、体内の弾丸の摘出は、南京を不在にしている汪兆銘の主治医であるドイツ人医師が戻るのを待ってなされることとなった。
一週間後に南京に戻ったドイツ人医師の判断で左耳上の弾丸が取りだされた。しかし背中の弾については、摘出には大きな危険が伴うことから同医師は二の足を踏み、結局弾は体内にそのまま残されることとなる。この傷は後々まで汪兆銘を苦しめ、九年後に彼を死に至らしめる。
犯人はその記者証から晨光通訊社の記者であることがすぐに判明した。複数の銃弾を受けた孫鳳鳴の口から犯行目的および背景にある組織を聞きだそうと必死の蘇生が試みられたが、孫鳳鳴は事件翌日早朝に死亡する。
犯行の首謀者について様々な憶測がなされた。ロイターおよびユナイテッド・プレスが現場に居あわせた日本人記者が拘束されたという情報をもとに日本人による犯行であると報じたが、これはむろん誤報であった。共産党地下組織や李済深、陳銘枢、王亜樵などの名が挙げられ、なかでも犯行の場にいなかった蒋介石に対しては、汪兆銘の妻の陳壁君のみならず、現場にいた人々の多くが疑いのまなざしを向けた。
蒋介石は記念撮影に参加しなかった理由について日記に記しており、早朝の中山陵と、続く中央党部における委員らの〈礼節〉や〈秩序〉が〈紛乱〉しており大いに憤慨したこと、および撮影の場に向かおうとしたところ、自分がでてくるのを待ち構えているらしい日本人の姿をみかけ躊躇したために会議場に戻った、としている。日記ではさらに、汪兆銘が病院に運ばれるまでずっとつき添っていたこと、入院した汪兆銘を何度も見舞ったこと、〈精神甚刺激(心に大きな衝撃を受けた)〉ことなどが述べられている。蒋介石の日記は通常その日にあったできごとを簡潔に記しているだけだが、これらの記述は十一月一日から数日間にわたってかなり詳細になされている。後年に他者によって読まれることを意識して、自分への疑いを晴らしたいという気持ちがそうさせたのだろう。
蒋介石は徹底的な捜査を命じたが、それも自分への嫌疑を払拭するために是非必要だった。
中央党部の事件現場では二十名を超える記者が身柄を拘束され、その後も数十名が事件に関与したとして逮捕された。現場で捕らえられた日本人記者を含む多くのものは解放されたが、一部のものは長期にわたって拘束され続けた。
警察は事件後すぐに晨光通訊社に向かった。しかしそこはすでにもぬけの殻だった。捜査当局は書類のなかに共産党関連のものがあったと発表したが、犯行が共産党によるものであるとは断言していない。
晨光通訊社の社員は、事件後も続いた捜査によって、死んだ孫鳳鳴と社長を除く全員が逮捕された。孫鳳鳴の妻については、いったんは香港に逃亡したが、事件から二週間後に上海に戻ったところを捕らえられた。拷問を受け、まもなく獄中でみずから二十四歳の若き命を絶った。
翌年、蒋介石のもとに「為南京晨光通訊社諸烈士逝世一周年紀念告全国同胞書(南京晨光通訊社の諸烈士逝去一周年を記念して全国の同胞に告げる書)」と題する声明書が送りつけられた。
そこには、本来の暗殺対象は蒋介石であったと記されていた。
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汪兆銘暗殺未遂がなされた十一月一日の朝からリース=ロス、エドマンド、ロジャースの三人は手分けして上海租界内のイギリス系銀行をまわった。
このとき三人はまだ南京での大事件のことを知らない。
夕刻にキャセイ・ホテルに戻ったエドマンドはその足でリース=ロスの部屋に向かった。
部屋にはいるなり、リース=ロスが震える声でいった。
「汪精衛が撃たれた」
「撃たれた?死んだのですか」
先にリース=ロスの部屋にきていたロジャースが答えた。
「詳細はわからない。六中全会開会式後の写真撮影で汪精衛が撃たれた。いまある情報はそれだけだ」
「六中全会開会式のあと?ということは、今朝?」
リース=ロスが答えて、
「そうだ。今朝九時過ぎのことだ。TVはもし大きな事件があれば即座にカレンシー・リフォームを実行するといっていたが、その大事件が今日の朝に発生したというわけだ」
「おかしいではないですか。TVが改革を断行すると知らせてきたのは昨日の夜のことです。事件発生より前です。汪精衛が撃たれることをあらかじめ知っていたかのようではないですか」
と、エドマンドは迫るようにいった。リース=ロスは眉をしかめて、
「確かに妙だ。なにが起きているのか私にはわからない。しかしともかく、われわれにはもはや時間がなくなった。わが国銀行の中国政府への銀引き渡しについて早急にとりまとめなければならない」
三人は各行に対するヒアリングの状況をもちあった。
各行の考えは概ね一致していた。
すなわち、銀兌換が停止された場合、銀に対する紙幣価値の低下を懸念する預金者たちは銀でなした預金なのだから銀で払いだすのが当然だというだろう。銀行は預金者の要求に応じざるを得ない。ゆえに、とても中国政府に銀を引き渡すことはできない、というのが各行の考えであった。
リース=ロスがいった。
「なかでもHSBC(香港上海銀行)が極めて否定的だ。ほかは他行にあわせるといっているがHSBCが拒否するとの目算のもとでそういっているのかもしれない。ただ、HSBCも一応本国に問いあわせてみるとはいっていた。なるべく月曜日までに回答するとのことだった」
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「なにを悠長なことを」
と、エドマンドはいらつきを隠さずにいった。リース=ロスは、
「やむを得ないよ。今朝の段階ではまだ改革実行に半信半疑だったのだ。各行に対しては『もうすぐ中国は銀国有化等の政策を打ちだすから考えてみてほしい』としかいえなかったのだから」
「それで、月曜になればHSBCは要請に応じるのですか」
「いや。おそらくだめだ。聞いてみるといってはいたが、冒険的なカレンシー・リフォームの成功を信じて銀を拠出するなど到底できないという態度だった」
リース=ロスは申し訳なさそうにいった。
エドマンドのリース=ロスを非難するような態度が気に障ったのか、ロジャースはエドマンドに向かって怒気を帯びた声でいった。
「しかし、そもそも急ぐべきなのか。中国はわれわれの唯一といっていい要求であるポンド・リンクを約束していないのだ。なぜ中国の頼みを一方的に聞いてやらなくてはならないのだ」
リース=ロスが継いで、
「私もそう思う。それにポンド・リンクが約束されなければわが国の銀行は安心して銀を拠出することはできない。まずは中国政府と『ポンド・リンクさえ約束すればわが国銀行は銀拠出に応じるだろう』といって交渉し、ポンド・リンクの確約を得てからわが国銀行を説得したほうがいいのではないだろうか」
エドマンドは反論した。
「それでは間にあいません。月曜日にカレンシー・リフォームの内容がマーケットに伝われば、銀と元とのリンクが断ち切られると知った人々は元のさらなる下落を予想し銀を求めて銀行に殺到します。即日で銀の取引を禁じられた中国の銀行は兌換に応じませんから、人々は租界の外国銀行に走るでしょう。各行は窓口の前に群がる群衆を前にすれば銀の払いだしに応じざるをえません」
「自主的に銀ではなくリーガル・テンダーでしか払いださないとする銀行もあるのではないか」
エドマンドはすかさず返答し、
「群衆が暴力的に窓口を叩けば銀行は銀払いだしに応じざるをえません。一行でも銀払いだしに応じる銀行があれば、払いだしに応じない銀行は信用を落とし、応じられない特別な事情があると疑われます。取りつけ騒ぎに発展し、破綻に陥る銀行がでるかもしれません」
エドマンドは落ち着いた声でいったが、その内容は重い。
「まずいな」リース=ロスは嘆息した。「明日、再度各行を説得せねばなるまい。しかし一行ずつと話していたのでは再び『他行が従うならば』と逃げられてしまう。複数の銀行を集めて説得をしてみるべきか」
「わが国の銀行をみな集めてみたところで、アメリカの銀行も銀拠出をするのでなければ『アメリカ系銀行との競争上応じることはできない』といわれるだけのように思います」
ロジャースが、
「それではどうしろというのだ」
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