『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第1861〜1920段落
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と、エドマンドに対して怒りをぶつけるようにいった。
エドマンドは、長い息を吐いてから、落ち着いた声でいった。
「キングス・レギュレーションを使いましょう」
「なに?」
と、リース=ロスとロジャースが声をあわせて訊き返した。
「国王陛下の名のもとに、わが国の銀行を一斉に規律する。それしかないと思います」
イギリスの中国における治外法権制度を定めているOrder in Council providing for the exercise of British jurisdiction in China(中国におけるイギリス司法権行使のための枢密院勅令。略称〝チャイナ・オーダー・イン・カウンスル〟)第二百九条は、同勅令の趣旨に沿って同勅令を補完する規制等を制定する権限を大使に与えている。その規制がキングス・レギュレーション(King's Regulations)と呼ばれる。現地派遣軍の規律や司法制度に関するものが中心で、乱発されるものではなく一九三五年については十月末までに一本のみが発出されている。すなわち、本国から遠く離れた中国において、緊急かつ重要な事案発生時に、いわば伝家の宝刀として抜かれるべきものである。
「キングス・レギュレーションで経済活動を、それも銀行のみを狙って規制しようというのか」
「確かに過去にはキングス・レギュレーションで経済活動を規制したことはないかもしれません。しかし、一九〇四年制定のオーダー・イン・カウンスルはキングス・レギュレーションを発出できる場合として四項目を列挙しており、そのなかに貿易、商業等に関する現地法規順守を確保する場合というのが掲げられています。また、一九二五年に改正された際に二項目が追加されましたが、そのうちのひとつは、通貨発行やその他の通貨・金融に関する事項を規制する場合と明記しています。キングス・レギュレーションによって銀行の行為を規制しても問題はないと思います」
「なるほど。そうなのか」とロジャースはいって、リース=ロスに向かい、「いいじゃないですか。キングス・レギュレーションでいきましょう。さっそく大使に連絡を」
しかしリース=ロスは腕組みをして考えて、
「中国のためにそこまでやってやる必要があるのだろうか。中国はわれわれの唯一といっていい要望事項であるポンド・リンクに応じていない。キングス・レギュレーションをだすにしても、ポンド・リンクを条件にしてはどうだろうか」
エドマンドは
(まだこだわるか)
と、内心で悪態をつき、
「TVはその取引に応じないと思います。十月上旬のミーティングで孔祥煕財政部長が他通貨とのリンクについて結婚にたとえ、『結婚できる相手はひとりだけ』と話していましが、そのときTVは口を噤んでいました。それ以降彼に注目していましたが、彼は一貫してリンクの約束を避けているようでした。おそらくTVはどの通貨ともリンクをしないつもりでいるのです」
「しかし中国にとって、ポンド・リンクを決めてもなんの損もないのではないか」
「そんなことはありません。中国は銀本位制をとることによってアメリカの銀政策に翻弄されてきましたが、ポンド・リンクをすれば、こんどはわが国の金融政策や通貨政策に強い影響を受けるようになります」
「それは確かにそうだが──」
「中国では、日本の侵攻により民族意識が大いに高まっています。経済的な独立を確保するために、ポンド・リンクを約束したくないと考えるのも当然ではないでしょうか」
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「しかしだな──」と、リース=ロスは煮え切らない様子だ。「孔祥煕はローンが得られればポンド・リンクをしてもいいといっていた。妥協の余地はあるということではないか。キングス・レギュレーション発出の見返りにポンド・リンクを求めれば、彼は飲むのではないだろうか。なにかをもらうためにはなにかを提供する。それは外交においてだけではない、あらゆる関係における基本原則だ」
「これまで一ヶ月以上にわたって彼らと接触してきてよくわかったではないですか。この国の金融を動かしているのはTVであり、孔祥煕は飾り物に過ぎないということを」
リース=ロスはエドマンドの顔を凝視して、
「どうもよくわからんな。きみは中国側寄りすぎないか。われわれはあくまでわが国の利益のためにここにきている」
「サー。確かに僕は中国経済の利益をばかり考えているかもしれません。しかし、このミッションはもともと、揚子江デルタの経済情勢が悪くなればここに多数の権益をもつわが国に不利益を及ぼすという考え方でありました。基本にたちかえり、この地の経済立てなおしに専心しようではないですか。ポンド・リンクが認められなくても、当地の経済にとってベストの施策をおこなおうではありませんか」
リース=ロスは腕組みをしたままで黙って考えている。
おそらくリース=ロスはイギリスを発つときに、満洲を通じた対中借款に加えて新通貨をポンドにリンクさせ中国をスターリング・ブロックに組み入れることを使命として帯びている。そのいずれにおいても成果が得られないのだから、たやすくふんぎりをつけることはできないのだろう。
エドマンドはそう思いながら、両手のこぶしを前にだした。そして左のこぶしを高くして、
「分裂し、外からの衝撃に弱く、不安定で、極度に貧しい状態にあるいまの中国」
といい、続けて右こぶしを上げ、左を下げて、
「盤石ないしずえのうえに築かれ、そとから吹き込もうとする風雪を頑強に退ける中国」
といった。そして両こぶしを同じ高さにしてリース=ロスのほうへ突きだした。
「この国はこのふたつにつながるドアのあいだに立っており、ドアを開ける鍵をあなたが握っておられます」
エドマンドはリース=ロスの目をまっすぐみて、
「さあ、どちらのドアを開けますか」
と、打ちつけるようにいった。
リース=ロスはエドマンドの目を見返した。そしてひとさし指をのばし、ゆっくりとそれをエドマンドの右こぶしのほうへ動かした。
リース=ロスがそう決心したときには十一月一日金曜日の太陽はすでに沈もうとしていた。
一本の法令をだすのである。上海とロンドンにまたがり大蔵省、イングランド銀行、外務省に司法省を交えて協議をしなくてはならない。しかし、幣制改革が実行される月曜日の朝までごくわずかの時間しかない。
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十一月一日午後六時四十二分、リース=ロスはImmediate Secret(至急秘)扱いの電報を本国宛に打ち、宋子文の要請内容と、それに対する在上海の銀行の反応を伝え、各行が預金者からの銀引き渡し要求を拒否することができるよう、法的な支援を与えることが必要である、とした。
リース=ロスの電報はロンドンの十一月一日昼に受信され、同日午後、大蔵省、イングランド銀行、外務省と各行のロンドン代表者を加えて討議がなされた。そして深夜(上海時間翌日朝)に大蔵省から第一報として、リース=ロスに対し、
〈イギリスの銀行が(中国法に)従うようインカレッジすべきという考えに同意する〉
との返信がなされた。
翌十一月二日土曜日。汪兆銘襲撃の報が伝わり、危機の到来を予期した人々はパニックに陥った。公債価格は暴落、安全資産である金への逃避が発生し金価格が暴騰、外国為替市場は乱高下しながら急落した。銀行には銀兌換や預金引きだしを求める人々が殺到した。ただ幸いにして土曜日であり銀行も金融市場も半日営業で、営業時間が短かったために大事に至らずにすんだ。
同日午後九時(ロンドン時間午後一時)になり、イギリス外務省から在上海総領事宛のMost Immediate(大至急)電がだされ、
〈イギリスの銀行に中国のスキームを受け入れさせ、同時に彼らを銀払いだしの要求から護るために、一九二五年チャイナ・オーダー・イン・カウンスル第二百九条に従ってイギリス臣民を拘束する条項および関連の条項からなるキングス・レギュレーションを制定することが望ましい〉
との指示がなされた。キングス・レギュレーションの発動が許可されたのである。あわせて同電報は、クラウン・アドボケイト(在上海の英国最高法廷長官)の助言を受けつつ規制のドラフトを作成するよう指示した。
同日午後十時(ロンドン時間午後二時)、カドガン大使も別の電報を受領した。これは同日昼にカドガン大使がイギリスの銀行に対して銀払いだしをおこなわわないよう指導する許可を求める電報を打ち、それに対する返電である。同電は、大使が銀行に対し指導をおこなうという方法は法的強制力をもつものではなく、銀行を適切に規制することができないので許可できず、法的措置、すなわちキングス・レギュレーションに寄らねばならないとし、カドガン大使の許可申請を却下した。
同日深夜、リース=ロス、エドマンド、ロジャースにカドガン大使と商務参事官および、上海を不在にしているクラウン・アドボケイトに代わって領事裁判所判事を加えた協議がなされた。この協議で、規制の対象を銀行のみとせず全臣民を対象とすること、預金の引きだしのみならず全ての銀による支払いを禁じることなどが決定された。
そしてキングス・レギュレーションの草案が作成され、完成後すぐに本国に打電された。
そのあと、イギリス外務省の法務担当官から複数の質問がなされ、それに対して領事裁判所判事と商務参事官が中心となって回答をおこなうというプロセスを経て、最終的に草案に対する本国の承認が得られたのは、十一月三日の太陽が昇ろうとしていたときである。
即日、各行に対して規制の内容が示された。
そして翌四日月曜日、すなわち一連の幣制改革関連法令が発出されたその日、全てのイギリス臣民に対して中国の新通貨制度受け入れを求め、銀の支払いを禁ずるキングス・レギュレーションが施行された。
汪兆銘暗殺未遂のあった十一月一日の午後、孔祥煕は施肇基(シージャオジー)駐米公使に至急電を送致した。
同電は施肇基に対して、幣制改革を週明け早々に実施することを急ぎモーゲンソー米財務長官に説明し、銀売却交渉を取りまとめるよう訓令するものである。一元を〇・三ドル、一シリング二ペンス1/2近辺に誘導するつもりだが、イギリスからの一千万ポンドの借款が実現すれば元はポンドにリンクすることとなる、として、モーゲンソーに圧力をかけた。
十一月二日夜。施肇基はニューヨークでモーゲンソーと会見した。
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