『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第361〜420段落
本ページで『カレンシー・レボリューション』 第361〜420段落を立ち読みいただくことができます。 本ページの前後の部分は電子書籍(Kindle版)または単行本でお読みいただけます。電子書籍は下記のリンクからアマゾンにて『カレンシー・レボリューション〜エコノミストたちの挑戦』をご購入ください(Kindle unlimitedで無料で読むこともできます)。 単行本については、本作は『小説集カレンシー・レボリューション』に収録されていますので、下記のリンクよりアマゾンにてお求めください(『小説集カレンシー・レボリューション』には関連した長編小説1本、中編小説1本の合計3本の作品が収録されています)。
|
金融専門用語が飛び交う会話を黙って聞いていた重光があくびをした。それをみてリース=ロスが「もう十分だろう」と遮り、質問と答えの応酬はようやくにして終わった。
重光が、総括するように、
「その改革案は満洲国での改革に倣おうということでしょうけれども、満洲国とは異なり中国の政情は安定しておらず、政府の力も弱い。そんな中国で成功するか、はなはだ疑問です」
といった。またもや広田外相のことばと同じだ。リース=ロスは、首を横に振りつつ、
「日本にきてから耳にしたことは、どれもこれも失望するものばかりでした」
といって、会見を切り上げた。
重光が立ち上がり、リース=ロスの手を握った。
エドマンドは重光のうしろに立っている男に向かって手をのばし、
「ぜひ名前をお聞かせください」
といって男の手を握った。
男は力をこめて手を握り返し、「ご挨拶が遅くなりすいません。私は森尾慶※といいます」といって名刺をさしだした。「やあよかった。今日のために急いで英語の名刺をつくったのですよ。使えてよかった」と、森尾は朗らかにいった。
エドマンドは名刺の肩書きを読んだ。Army Major すなわち陸軍少佐、Paymaster すなわち経理部所属。
森尾はエドマンドの手を握ったままで経歴を短く語った。
森尾慶陸軍三等主計正は戦時経済研究で博士号を取得した異才である。陸軍経理学校卒業後、東京大学経済学部選科で経済学を修めた。陸軍の派遣でジョンズ・ホプキンス大学にも一時籍をおいた。
重光が、
「各種問題について意見交換をおこなうのは日英協調のために有益です。帰国の際はぜひ日本を経由してください」
と外交辞令で締め、リース=ロスの手を離した。
エドマンドが森尾に対し、
「ではまたいずれ」
というと、森尾は
全文は 【単行本】小説集カレンシー・レボリューション でお読みいただけます。 |
「すぐにまたお会いするでしょう」
と答えた。エドマンドは
「すぐにまた?」
と問い返したが、森尾は微笑んだままで口を結んでいた。
リース=ロス一行が東京を離れたのは翌九月十八日である。
超特急列車と称される〝燕〟で神戸にいき、そこから日本郵船の定期船で瀬戸内海を抜け、長崎を経由して上海へ向かう。
日本滞在で得られたものはほとんどなかった。
帝国ホテルから東京駅へ向かう車中、リース=ロスは車窓に映る皇居の緑を眺めるばかりで、ひとことも発しなかった。エドマンドはリース=ロスの失意の背中をみながら、横浜入港のときに富士をみて抱いた畏怖のような感覚は悪い予感だったのだ、と思った。
ただエドマンドはリース=ロスほどには落胆していない。東京はあくまでプロローグであり本番はこれからなのだ。
昨夜エドマンドは重光外務次官との会見内容を本国に報告する電文を作成した。重光が満洲国承認について「中国からの歩み寄りを待てばいい」といっていたことを文字に起こしたとき、もしかすると、「満洲国を絡めた借款スキームは日本からは提案できないものの中国のほうから要請してくれば検討し得る」という含意があるのではないか、と思い立った。自分が考えだした借款スキームは一度は死んだものと思ったが、中国に渡る前に生死を決めるのは早すぎる、と思いなおした。
東京駅で列車に乗りこむと、借り切っているはずのコンパートメントのなかに日本人の若者がおり、ひとつの席を占拠し座っていた。
若者はリース=ロスに向かって自分は新聞記者であるといい、インタビューをさせてほしいと願った。エドマンドは記者の無礼を咎めたが、記者は諦めようとせず、リース=ロスの向かいの席に腰を落ちつけて一方的に質問を始めた。
リース=ロスは腕組みをして目をつむり黙っている。エドマンドが睨みつけても、記者は臆さずひとりで話し続けた。
東京駅を午前九時に出発した燕は二十七分後に横浜に着く。
横浜駅をでると、記者はリース=ロスに嘆願した。
「編集長にこの取材旅行の費用をだしてもらうのに非常に苦労しました。もしインタビューをとれずに手ぶらで帰るようなことがあれば、私はきっと解雇されます」
記者は泣きだしかねない表情である。それをみて、リース=ロスは苦笑し、
全文は 【単行本】小説集カレンシー・レボリューション でお読みいただけます。 |
「わかったよ。質問にお答えしよう。ただ、答えられないことも多いが了解してくれたまえ」
記者は喜び、最初の質問をした。
「ではまず、今回のミッションの目的をお聞かせいただけませんか」
このミッションの目的は公式には発表されていない。
「中国の経済情勢の視察だよ。景気が悪化しているようだが、その状況を調査しにいく」
「調査をして、改善策を国民政府に対して示すのですね」
「うむ。そうなるだろうね」
「中国経済のなにについての調査でしょうか。やはり通貨制度でしょうか」
「われわれは中国経済がいかにすれば改善するか、その方策を探りにいく。通貨制度を変革することも、その方策のうちのひとつかもしれない」
「具体的にはどのように通貨制度を変革することを考えておられるのでしょうか」
エドマンドはリース=ロスに向かって小さく首を横に振り、記者に話すべきことがらではない、と伝えた。リース=ロスはシガーに火を点けながら、
「なにも決まっていないよ。まずは現地の状況をみてみなければならない」
といった。記者は終わりまで聞かずにことばを返し、
「銀本位制から離脱し、中国元をポンドにリンクさせるつもりではないのですか」
リース=ロスは口を噤み、首を斜めにしてとぼけた顔をつくった。記者は質問のしかたを変え、
「中国に対して、具体的にイギリスはどのようなことができるのでしょうか」
エドマンドはリース=ロスの横顔に向かって「サー」と声を掛けた。記者はリース=ロスから借款など、援助を意味することばを引きだそうとしている。そして、〈イギリスは天羽声明に示される日本の姿勢を顧みず、日本をだし抜ぬき援助せんとしている〉という内容の記事を書こうとしているのだ。
リース=ロスはエドマンドをちらりとみて小さくうなずいてから記者に向かい、
「それは、彼らにイギリス製のビールをもっと売ることだよ」
といって、片目をつむってみせた。
全文は 【単行本】小説集カレンシー・レボリューション でお読みいただけます。 |