『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第481〜540段落
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「遅かれ早かれ、ではありません。早急に改革が必要です。複数の金融機関が危機に陥っており、その数は今後数ヶ月のあいだにも大きく増えるでしょう。事態は逼迫しています」
と訴えた。その目は「のんきなことをいわないでくれ」といわんばかりの強いまなざしだった。そして続けて、
「目下の不況の最大の要因は銀価格の高騰です。われわれは昨年より銀輸出平衡税による調整をおこなっていますが、十分に機能しているとはいえません。早急に抜本的対策を実施しなければなりません」
リース=ロスが、
「抜本的な対策というのは、すなわち中国元の銀に対するレートの大幅な切り下げのことでしょうか。それとも──」
というと、子文は終わりまで聞かずに、
「いえ、違います。それでは問題の根本的解決にはなりません」
「では、銀本位制を捨てる考えなのですか」
子文は「イエス」と、はっきりと首を縦に振り、
「もはや銀本位制からの離脱以外に方策はありません」
リース=ロスはエドマンドと顔を見合わせた。リース=ロスも銀本位制離脱が必要と考えているのだが、中国において金融当局者に対してその必要性を説き、難色を示すようならば説得をせねばならないと考えていた。しかし子文に対してその必要は全くなかった。
リース=ロスは、
「中国の人民は長期にわたって銀本位制に慣れ親しんでいます。銀を捨て去ることは容易ではないのではありませんか」
と問いを投げかけた。中国側が銀本位制離脱に反対する理由として挙げるだろうと想定していたことを、リース=ロスの側から示してみたのだ。
「銀価格に国内経済が翻弄される状況はもはや終わらせなくてはなりません。中国人が長期にわたって銀本位制に慣れているといっても、たかだが数百年です。それ以前には銅貨や紙幣も使われ、太古には青銅だったときもあります。中国の長い歴史からすれば数百年は長い時間ではありません」
と、子文は冗談なのか本気なのか判断がつきかねるようなことを平然といった。そしてつけ加えて、
「ハード・カレンシーからの離脱が世界的潮流でもあります」
リース=ロスは再びエドマンドの顔をみた。ハード・カレンシーは、ここでは金か銀のことを指している。つまり子文は、金本位制は採らないと断言したのだ。イギリスとしてはできれば元をポンドにリンクさせたい注。そのためには金本位制を採用させてはならないのだが、どうやらその心配は無用のようだ。
「カレンシー・リフォームの具体的な案がすでにあるのでしょうか」
「あります。明日改革を実施できるかと問われれば、それほどまでには詰まっていないとお答えしなければなりませんが、相当程度の形にまでは仕上がっています。私の頭のなかでは、改革の大筋は北伐注軍が北京を占領した七年前にはすでにできあがっていました」
全文は 【単行本】小説集カレンシー・レボリューション でお読みいただけます。 |
「そんなに早くに──」と、リース=ロスは驚き、目を瞬いた。「その具体案をぜひ聞かせてください」
「むろんです。ただ今日は時間がありませんから、南京からお帰りになったときに。われわれの案に対する意見をいただきたい。そして詳細を詰めるお手伝いをいただければ。南京から戻られたあとに共同でカレンシー・リフォームのタスク・フォースをつくりましょう」
リース=ロスは嬉しそうに「ぜひやりましょう」といって、子文に握手を求めた。
「七年前といえばグレート・デプレション(世界恐慌)の発生前ではないですか。この国が不況に陥るよりもずっと前だ。ずいぶんと早い」
とリース=ロスがいうと、子文は、
「そのとき考えたタイムテーブルからずいぶんと遅れています。もともと、わが国の通貨制度ではテール(銀塊)と銀コインの両方が取引などに使用されていました。二年前にその状況を改めて後者に統一しましたが、それは改革の第一段階として七年前に考えたものです」
中国は一九三三年に〝廃両改元(はいりょうかいげん)〟を断行した。すなわち、秤量貨幣である銀両と計数貨幣である銀元とが併存する状態を終わらせ銀元に統一した。
子文が続け、
「その第一段階の実施に五年も要するとは思いませんでした。銀本位制からの離脱については未だ実現していない。いいわけじみていますが、諸々の困難な事情もありまして」
そういいながら子文は頭のうしろを指で掻いた。その仕草はいたずらがばれた少年のようであり、エドマンドはこの同世代の男に好感を抱いた。
「困難というのは、資金がないことですね」
「そうです。それが困難のうちのひとつです。実に頭が痛い」
「カレンシー・リフォームを成功させるためには、改革の前に政府債務を整理し、かつ潤沢な外貨準備を用意しておかねばなりません。そのためのひとつの方策は国内の銀のことごとくをアメリカに買い取ってもらうことですが──」
と、リース=ロスは語尾をのばし気味にいった。中国市場をめぐってアメリカと競争するイギリスとしては、アメリカによる支援は好ましいものではないのだ。
「アメリカとの交渉は順調とはいえません。われわれはアメリカに対して銀価格の安定を要請していますが受け入れられません。昨年九月には、『もはや銀本位制を維持できず銀本位制から離脱したいので銀を金に交換してほしい』と要請しましたが、それに対する回答は『銀から金の交換はマーケットでできるので政府間取引は考えていない』と、にべもないものでした。むろんわが国がマーケットで銀を売り始めればマーケットは大混乱に陥りますので、できるはずがありません。その後アメリカは銀買い取りに応じましたが、その数量はわずか千九百万オンスであり、とても銀本位制から離脱できる量ではありませんでした」
子文は感情をださない顔でいったが、腹のなかには怒りがあるはずだ。アメリカ大統領と、その指示に従う財務省は、銀産出業界の要請に応じて銀価格を吊り上げている。その影響を最も受けているのが大国のうちで唯一銀本位制を採る中国だ。銀価格高騰により引き起こされた経済苦境から脱するために、アメリカが他から買い入れている価格で銀買い取りを求めてもアメリカは応じようとしない。中国が銀本位制を捨てれば市場に大量の銀売り圧力が加わる。だからアメリカは中国に銀本位制から離脱されたくないのだ。
リース=ロスがいった。
「アメリカに銀を売ることができないとなれば、十分な外貨準備を用意しておくためには国外からのローンが必須となりますね」
リース=ロスは満洲国承認と絡めた借款スキームに話題を転じようとしている。エドマンドは昨夜の船中でリース=ロスに、中国のほうから提案すれば日本もスキームを受け入れるかもしれないと教え、リース=ロスは「確かにそうだ」といって、スキーム実現に再び意欲的になっている。
「私も外国からのローンはぜひ必要と思っています」
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と、子文はうなずいた。しかし続けて、
「ただ、外交的な制約や内政への干渉を受けずに援助を受けねばなりません」
と、強い目でいった。リース=ロスがいおうとしていることをあらかじめ知っているはずはないが、それをいわせまいとしたかのようでもあった。
リース=ロスは借款スキームをここで切りだすのはやめ、
「しかしながら、デフォルトの可能性が低くない中国に対し、利子を得るだけのために資金をすすんで提供しようという者はいません。ローンになんらかの条件が課されることは覚悟しなくてはならないでしょう」
と述べるにとどめた。
会見後のディナーには、リース=ロス夫人と中国政府高官が数名加わり、一方で他用のあるカドガン大使は出席せず大使館へ戻った。
メニューが半ばに達したころ、リース=ロスが右隣に座る子文に対して満洲国承認と絡めた借款問題を切りだした。その声は小さい。リース=ロスの左に座っているエドマンド以外には聞こえていないだろう。
子文はリース=ロスの話をしまいまで聞かずに、
「その問題はここでお話しできる内容ではありません」
と遮り、隣に座る夫人に向かってテーブルの料理の説明を始めた。
子文が話題を嫌ったのは明らかだった。
予定のとおり一行はその日の夜に上海を離れて汽車で南京に向かった。
翌日さっそく財政部長の孔祥煕との会見がおこなわれたが、この会見で得られたものは極めて少なかった。宋子文との会見と大差がなかったのだ。リース=ロスの質問に対する孔祥煕の回答は、前日の夕食前に聞いた内容とほとんど同じだった。
違いを敢えて挙げるのであれば、孔祥煕は外国からの援助の必要性をしきりに説いていたことだ。宋子文も援助が必要と述べたが、同時に外交的制約や内政に対する干渉を受けてはならないと強調し、外国からの援助が改革の必要条件とは考えていないようにもみえた。
孔祥煕の傍らには財政部顧問のアーサー・ニコラス・ヤング※がいて、孔祥煕が答えに詰まるたびにヤングが耳打ちをしていた。
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