『カレンシー・レボリューション』立ち読み 第961〜1020段落
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子文が答え、
「銀の国家への集中が順調に進むかどうかはカレンシー・リフォームの成否を決める重要なポイントです。法的に強制できなくても、外国銀行や外国人にも銀を拠出させる必要があります。思うに、貴国の銀行がわれわれに協力してくれさえすれば、あとはうまくいくのではないでしょうか。外国銀行の取引を中国国内取引と国際取引に分けたとき、中国国内取引については取引相手は中国の銀行であり、中国の銀行は法令に従って現銀での取引を拒否します。貿易など国際取引については外国銀行の主要な取引相手は貴国の銀行ですが、貴国の銀行が現銀での取引を拒否すれば、外国銀行が現銀で取引をおこなう機会は非常に限られることになります。そうなれば銀をもっていても役にたたないのですから、政治的に動く日本の銀行を除けば、みな国民政府の要請に応じても構わないと考えるのではないでしょうか」
子文はリース=ロスに向かって笑みを投げかけた。それをみて、リース=ロスは慌てたように、
「いやいや。私に期待されてもこまる。わが国の銀行を説得してまわるくらいのことはできるが、強制することはできない」
「説得していただけるだけでもありがたい。現銀の国家への集中は極めて重要であり、カレンシー・リフォームが成功するかどうかはそれで決まるといってもいいでしょう。ぜひお願いします」
と、子文は、穏やかな表情ながらも、しっかりとした口調でいった。
ヤングがいった。
「そうして集めた銀を売って外貨を獲得しますが、交渉が継続中のアメリカへの銀売却を早急に実施しなければなりません。それにより外貨準備を充実させ、適宜市場介入も実施して対ドル・対ポンドの為替レートを安定させ、マーケットの信認を得ます」
エドマンドがヤングに訊いた。
「アーティ。国内の銀の全てをかき集めたとして、いったいどのくらいになるのかい」
「僕の推計では、清(チン)ダイナスティのころを含めたこの国の銀貨鋳造高は十七億オンスで、それに過去から蓄積された銀塊や装飾品、家具など八億オンスを加える。その合計から正規に輸出された三億オンスを引き、さらに満洲分離で失われた分を一億オンス、密輸出分を二億オンスと見積もると、十九億オンスがこの国に存在することになる」
「つまり、国じゅうの銀を集めることができ、それを全てアメリカに一オンス五十セントで売却できるとするならば九・五億ドルになる。二億ポンド程度か。そのくらいの外貨準備があれば十分ということができるな。それで、その十九億オンスのうち、実際にはどのくらいを集めることができそうかい」
「上海の中国、交通、中央の三行はいま一億三千万オンスを所持している。上海の他行には一億オンスがある。上海以外の銀行に一億オンスがある。合計で三億三千万オンス」
「うち外国銀行所持分は?」
「上海が二千八百万オンス、上海以外が千五百万オンスといったところだ」
エドマンドは紙に数字を書きとり、計算した。そしてペンの底をくわえて、
「外国銀行の拠出を得られるかどうかはわからない。上海以外にある銀も、軍閥や日本の勢力が強い地域の銀行は国民政府の命に従わないかもしれない。銀の移送にも時間がかかる。とすると、すぐに使えそうなのは上海にある銀のうちの外国銀行を除いた分、約二億オンスか。つまり、二千万ポンドというところだな。これではいくらなんでも心細い」
参考までに、二千万ポンドは日本円で約三・四億円だが、日本の正貨(金、銀、海外にある銀行預金、外国国債等)の残高は、日露戦争の外債償還や国際収支悪化により正貨が流出し正貨危機が唱えられた一九一四年がちょうど約三・四億円だった。ちなみに世界恐慌直前の一九二九年初が約十二億円、一九三七年の盧溝橋事件発生のころで約九億円である。
ヤングは、
「そのとおりだ。二千万ポンドではまったく足りない。だから外国銀行所持分をどうしても加えたい」
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といいながらリース=ロスをみた。言外に「外国銀行の説得をしっかりとやってほしい」といっている。
エドマンドは紙に書いた二千万ポンドという数字をペン先でつつき、
「二千万ポンドにしても、銀が全て売れたならばの話だ。しかしアメリカへの銀売却交渉はあまり順調にはいっていないのだろう」
孔祥煕が口を開いた。
「そうなのだ。アメリカとの交渉は不調であり、かといってマーケットで大量に銀を売れば価格を歪めることになり、それもできない。われわれの外貨準備はどうにも足りない。よって、国外からのローンがぜひとも必要なのだ」
借款の話におよび、リース=ロスは顔をしかめ、
「閣下。日本が腰を上げない限り、日本の顔色をみる他の国から援助を受けることはかなり難しいといわざるを得ません。他の国にはわが国も含まれますし、アメリカも同様でしょう」
といった。孔祥煕は、
「しかし、日本で諸方面の要人と会見された際、日本はわが国へのローンに非常に消極的との印象を受けられたのですよね。あの国は、口ではわが国の経済復興を望んでいるといっても、実際には崩壊を願っているのです。そのような国がわが国に手をさしのべるとは思えません。なんとか日本抜きでのローンをお願いしたい」
と、懇願するようにいった。リース=ロスは説き伏せるように、
「無理をおっしゃられても困ります。せめて貴国のほうから日本へ依頼をすれば日本も重い腰を上げるかもしれませんが、それはできないのですよね」
「満洲国承認を絡めたスキームのことをいっておられるのであれば、それはすでに申したとおり、できません。しかしわれわれは資金が必要なのです。なんとかしてはもらえないでしょうか」
孔祥煕の借款に対するこだわり方は、あたかも獲得した資金が自分のポケットにはいると思っているかのようだった。
リース=ロスは、
「ローンが得られるのであれば、そのほうがいいことに異論があろうはずがありません。一千万ポンド程度のローンを組成できないか、あらためて私から本国に働きかけてみます」と、なだめるようにいい、続けて子文のほうを向いて、「しかしながら、恒常的に財政赤字が発生している国民政府の現状ではローン獲得は容易ではない。財政赤字の状態から早急に脱却する必要がある。為替レート安定のためにも適切な財政政策が必須だが、その点についてお話をお聞かせいただきたい」
と問いを投げた。財政部長である孔祥煕が答えるべき質問だが、信頼できる答えを得るために、子文に問いたかったのだろう。
「軍事費と国内の債務償還の負担が重荷ですが、軍事費の大幅削減に全力でとりくむつもりです。国内の債務については短期債務から長期債務への借り換えをおこない、ローンが得られれば、さらに国外債務へと切り替えます。一年から一年半程度で予算を均衡させることを目指します。それを公表し、政府が目指しているものを明確にするのもいいでしょう。そうして政府に対する信頼回復をはかろうと考えています」
リース=ロスは、ふむふむ、と二度うなずいてから、
「為替レートの安定のためには金融政策も極めて重要だ。銀本位制を離脱し、金本位制をも採用しないのだから、マネー・サプライの適切な管理が鍵となる。国のなかにもそとにも敵がいる現状、放っておけば軍事費調達のためにマネー発行が拡大されることは目にみえている。一方で、過度な引き締め政策はデフレーションを引き起こす。穏健な拡張的マネー・ポリシーの採用が重要だ」
子文が、まさにそのとおり、とうなずくと、リース=ロスは、
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「そのために英米の金融専門家を加えた銀行券発行状況を監視する特別委員会を設置してはどうだろうか」
と、唐突に提案した。
センシティブな問題である。
外国からの侵略に苦しんだ中国は、領事裁判権、関税自主権、鉄道権益などの回収を粘り強く交渉し進めてきている。金融面で外国人による監視機構を設けるとなると、その流れに逆行することになる。それに、リース=ロスは「英米の」といったが、それでは日本の反発は免れない。加えて、まるで中国人の管理能力が信頼できないので英米に任せておけ、といっているかのようでもある。
エドマンドは子文の答えに注目した。子文は、
「穏健な拡張的マネー・ポリシーが必要という点については大いに賛同します。しかし、特別委員会設置については、いまここでイエスということはできません。委員会の設置は有意義であろうとは考えますが、国外からの内政干渉とならない仕組みをつくらなければなりません」
と、答えを濁した。
翌十月九日。
リース=ロスはホーア外相宛に中国との討議内容を報告する長文の電報を送付した。
後段部分で彼の意見が述べられている。
〈私は一千万ポンドのリスクを負ってでもカレンシー・リフォームのスキームを推し進めたほうが、なにもしないよりもずっといいと考えています。われわれの主要な権益は揚子江デルタにあり、その経済状況の改善は南京政府を内部から強固にします。(幣制改革の)スキームはデフレーションを終わらせ貨幣供給を拡張することによって経済金融情勢を改善します〉
〈最悪の事態が発生し日本がさらに進攻したとしても、南京は受け身なレジスタンスをおこない軍事費を拡張しないでしょう〉
〈たとえ(幣制改革の)スキームが失敗に終わったとしても、中央政府が維持される限り、通貨が暴落したり、いまのレッセフェール(自由放任)政策を採り続けるよりも悪くなることはないと思います〉
〈ヘンチマン(香港上海銀行上海支店長)は、国王陛下の保証するシンジケートローンであるならば銀行は参加する用意がある、といっています。もし彼のいうとおりであり、かつ日本の銀行もそれに参加すれば、ローンは日中両国の関係修復に寄与し、侵略に対する保険となるでしょう〉
リース=ロスは一千万ポンドの借款を中国に付与すべきと具申したのだが、日本の軍事進出に対して中国側が軍事予算を拡張しないという観測には根拠がなんら示されておらず、日本の銀行がシンジケートローンに参加することをにおわせているものの、日本での要人会見で示された日本の消極姿勢から考えれば日本の支援が得られるとは考えにくい。ロンドンで電信を受け取った側は、リース=ロスの楽観的に過ぎることばに疑いをはさまざるを得なかっただろう。
その後リース=ロスは返答を催促するかのように頻繁に電報を送付するのだが、その返事はなかなか得られなかった。
ロンドンでは、日本抜きでの中国支援を認めない外務省と、イギリス単独でも借款をおこなうべきと考えるチェンバレン蔵相やイングランド銀行総裁等とが対立し、論議が紛糾していた。
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