瓦氏夫人 あとがき
歴史小説の題材を選ぶ時。自分がその題材に強い興味があるとか、世間の人が興味をもちそうだとか、そういうようなことよりも、その題材が、自分にしか書けないものかどうかとか、自分が書くべきものかどうかといったことを意識して選んでいるように思う。
過去の作品でいえば、『カレンシー・ウォー〜小説日中通貨戦争』は、通貨やマクロ経済、日中外交関係の近代史、上海という街について、そこそこ勉強したり、仕事で体験してきたので、他の人が思いつかないような、驚きのある物語を書けそうだと思ったことが筆を起こすそもそもの動機だった。
中華民国の経済を支えた宋子文が活躍する『小説集カレンシー・レボリューション』については、英雄と呼ばれてもいいような数々の偉業を成し遂げた宋子文が、共産党の敵である中国国民党の人間だったためか、今の共産党政権下の中国では全く評価されておらず、それならば、中国のイデオロギーと全く関係のないところにいる日本人の自分が彼に光をあてなくてはならないのではないか、と思ったことが、執筆の大きな理由だった。
瓦氏夫人は、その業績からすればもっと評価されていいのに、中国の長い歴史のなかではマイナーであり、その生涯は実にドラマチックなのに、彼女を扱う文芸作品などはほとんどみられない。
これは、彼女が少数民族の出身であり、今の中国では、文芸作品などで少数民族を扱うことに、いろいろと微妙な問題があるためのようだ。
でも僕は、中国国内の事情とは無関係だし、政府からの圧力を受けるようなこともないので、彼女を正しく描くことができる。それゆえに、ちょっと大袈裟かもしれないけれども、彼女のことは、自分が書かなければならないという使命感のようなものを、執筆中ずっと感じていた。
さて、『瓦氏夫人』。
書き始めたのが2014年で、2019年にいったん書き上がり、Web小説としてペンネームで世に出したけれども、ちょっと不満な点などもあったので、さらに2年寝かせ、大幅に加筆修正して、タイトルも改編して、結局7年越しの仕事となってしまった。
そのうちの最初の1年は、資料集めと、その解読にほとんどの時間を費やした。
この時代について書かれている資料の数はかなり多く、でも、ほぼ全く日本語に翻訳されていないので、それらを読み込むのに大変な労力が必要だった。
とはいえ、大変ではあったけれども、辛かったわけでもない。他の人によってあまり語られていない偉人の生涯が、調べれば調べるほどに、少しずつだが、わかってくる。歴史的に瓦氏夫人が光り輝いたのは、この物語でいえば第四章の第二節以降の部分だけなのだけれども、それ以外の部分も(どこが創作で、どこが史実であるかとはいちいち示すことはしないけれども)、かなりの部分が史実を綴っている。なにもみえない白い霧のなかにいるような感じで途方にくれたときもあったのだけれども、全てを書き終わることができた今ならば、「楽しかった」といえると思う。
7年の年月を費やしたのち、この物語から卒業するのは、寂しさが半分、爽快感が半分というところだろうか。気づけば自分の年齢が、主人公花蓮の生涯に大きな影響を及ぼす王陽明の没年を1年越え、花蓮の没年の1年前になっている。この物語を書くのにまさにふさわしい年齢を捧げたということなのかな。