『ステーツマン』立ち読み 第541〜600段落
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「これは北伐が完成したあとに実施しようと考えていたものなのだよ。これは経済的な大きな改革だ。大改革ゆえに、周到な準備のもとで、タイミングをみて実施しなくては失敗する」
「でも、日々武漢から資金が逃避するなかではそうせざるを得なかったのではないでしょうか」
「この条例のせいで武漢は上海や中国のその他の地域から分離され経済的に孤立するよ。取引の対価に現銀を受け取れないのであれば域外の者は誰も武漢にモノを売ろうとしなくなる。それに、リターンを現銀でもらえないのだから武漢に投資しようという者もいなくなる。つまり、武漢からの資金の流出を止められても域外からの流入も止まり、政府は財政を紙幣を発行して賄うしかなくなる。いきつくところは深刻なインフレーションだ」
この子文の予想はすぐに的中することになる。
早くも翌十八日、上海の銀行業界団体が武漢との間の一切の業務を停止すると声明をだし、北京、南京、広東等の銀行業界団体も上海にならって武漢との経済断行を宣言した。これにより武漢は深刻な物不足とインフレーションに苦しむこととなる。武漢政府はこのあと半年ほどで崩壊するが、現金集中条例の施行がその重大な要因のひとつだったといっていい。
子文は、上海金融界からの借り入れを停止せざるを得なくなった。資金を借り入れてもそれを武漢に送金することはできない。送金できないとなれば、調達した資金は南京が武漢を攻めるための軍事費に使われるだけである。
この行為が子文の今後を決めるきっかけとなった。
蒋介石は、子文が武漢側につくと宣言し蒋介石に敵対する行為にでたものと判断し、それまでの協調的な姿勢を一転させる。南京政府は武漢政府の各部長の南京への合流を期待し当面各部長職は空席とすると発表したが、司法部長、交通部長、財政部長職については例外であるとした。十九日には南京政府の財政部長に古応芬が任命された。
そして二十日、早朝。
子文は、モリエール路の孫文邸の来客用の寝室で、階下から聞こえるドアを強く叩く音で目覚めた。
住みこみのメイドが応対するだろうと思ってそのまま目を閉じていたが、ドアを壊そうとするかのようなノックの音は鳴りやまない。
起きあがり、北側の部屋から玄関口をみおろすと、ドアを叩いているのは軍服を着た兵士だった。モリエール路に自動車が一台停まっている。後部座席にひとが座っており、顔はみえないが、窓枠に置かれたカーキ色の袖をみて、それが誰であるかがわかった。
子文は階下に降り、おびえて座りこんでいるメイドの肩を二度叩いてからドアを開けた。
リビング・ルームにはいってきた蒋介石は月初にこの家で開かれた会議のときと同じ位置に座り、子文は汪兆銘が詰問されていた位置に座った。
「南京におられるものと思っていましたが」
と、子文は蒋介石の目をみずにいった。
「昨夜戻ったのだ。きみと話をしなくてはならないからな」
「話とは、なんでしょう」
と、子文はとぼけてみせたが、要件はわかっている。
全文は 【電子版】ステーツマン~宋子文1927 【単行本】小説集カレンシー・レボリューション でお読みいただけます。 |
「武漢に戻るのか、南京にくるのか、そのいずれかを問いにきた」
「昨日、南京の政府は財政部長に古応芬を就けたと発表したではありませんか。その意味するところは、僕が南京に合流することはないと判断されたということだと思っていましたが」
「武漢に戻ると決めているのか」
子文は黙って首を縦に振った。
「武漢にはもはや明日はない。軍事で南京に勝てないのはもちろんだが、経済面でも孤立している。一年ももたないぞ」
「半年ももたないかもしれません」
と、子文は蒋介石のことばを修正した。
「それがわかっていながらなぜ武漢にいく。愚かなことはやめろ」
「愚かなこと?そうでしょうか」
蒋介石は声の調子を落として、落ち着いていった。
「私は武漢を倒し、北京を倒し、国を統一したあとは列強諸国と戦うことになる。その長い戦いを経済面で支える人材が必要なのだ。軍事面で全てを成し遂げたあとには国の経済を建て直し、強固なものにしていかなくてはならない。それをできるのはきみだけだ。きみのほかには誰もいない。いったん財政部長に古応芬を据えたが、きみがわれらの陣営に加わると決心すれば、すぐに財政部長の椅子を与えようと思う」
「国内の統一は、本来は武によらず話し合いにより成し遂げるべきものだと考えます。あなたは武漢から上海にはいる過程で多数の民衆を傷つけ、上海では何百人も殺しました。南京での事件もあなたの兵が起こしたことであり、あなたは責任を免れません。上海から北京へのぼるときにも多数のひとを殺すのでしょう。そういうあなたに僕はついていくことはできない」
子文は一気にいって心のうちを吐きだした。子文のことばを聞きながら蒋介石の顔は赤らんでいき、子文が話し終わると同時に、
「甘いことをいっているんじゃない。これは革命なのだ。ひとの命が失われるのは当然のことなのだ」
といって勢いよく立ち上がった。そして、
「よく考えてみるんだな。自分がどうするべきなのか」
といって、早足で玄関へ向かった。子文も立ち上がり、
「気が変わることはありません。僕は武漢へ帰ります」
といいながら、蒋介石の背中を追った。
ところが、子文の前をふたりの衛兵が遮った。子文は手で押しのけようとしたが、衛兵はびくともしない。
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蒋介石が振り返り、いった。
「武漢にいかせるわけにはいかない。きみがいけば、死ぬべきはずの武漢が生き返りかねない」
「ばかなことを。僕の自由を奪うつもりですか」
「武漢にはいかせない。しかし、上海の市内を動くことは構わぬ。姉さんのところへでもいって、自分が今後どうすべきか、よく相談してみるんだな」
蒋介石はそういって、でていった。
この日の午後、蒋介石はいったん休眠させた江蘇兼上海財政委員会を招集した。同委員会は二日後に二千万元の公債発行を決定する。二十五日には軍総司令部の名で、江蘇、浙江両省の財政は各省の財政委員会が責任をもって処理すること等が布告された。
子文の財政部上海事務所は開設から一ヶ月も経たずに有名無実となった。
7
小島譲次は漢口の財政部二階の薄暗いロビーで奥の部屋から声が掛かるのを待っている。
去年の暮れにここに訪ねてきたときは、物見遊山でみにいったボロジンの演説会で怪我を負い、彼女に会うことが叶わなかった。それから半年が過ぎ、学友の宋子文は上海にいってしまっているのだが、彼女の顔がみたくて京漢鉄道に乗った。聯盟通信社の本社には「半年前に取材した武漢にまたいくのか」といやな顔をされたが、南京と武漢が対立し、武漢側が日に日に不利になっていく情勢のなかで、彼女が武漢をでてしまうのではないか、国外へ亡命でもすれば二度と会えなくなるかもしない、などと思い、本社のことばを聞こえぬふりをした。
奥の部屋から数人の男がでてきた。
そのうちのふたりについては小島も顔を知っている。先頭を歩く鼻のしたに髭をたくわえた彫の深い男は昨年十二月の演説会で演台に立っていたボロジンだ。それに続くのは外交部長の陳友仁(チェンヨウレン)。
男たちはことばを交わしながら小島の前を通り過ぎた。国民政府の公用語は英語である。陳友仁はイギリス領のトリニダード生まれで流暢にしゃべる。ロシア人であるボロジンの英語が最もなまりがきついようだ。
小島の名刺をもって秘書が奥の部屋にはいっていった。そしてすぐに戻ってきて、
「お会いするそうです。もう少しだけお待ちください」
音のないロビーでさらに数分を待つ。
奥の部屋のドアがゆっくりと開いた。
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