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『ステーツマン』立ち読み 第661〜720段落

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全文は
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「もちろんだよ。喜んで」

といって、小島は立ち上がった。

 慶齢とともに部屋をでると、ロビーに次の来訪者の姿があった。 来訪者はバッと音をたてて立ち上がった。緊張しているのか、指の先までのばして直立している。慶齢が声を掛けると、来訪者は口を半開きにして固まった。おそらく意識は飛んでいる。

 小島は、わずか数十分前の自分の姿をそこにみて、思わず苦笑した。

 子文は疲れていた。

 なにもできず、なにもすることがないことで、却って猛烈な疲労感を覚えている。孫文に招かれ広州にはいって以降、まさに寝る間もないほどに忙しかった。しかしいまは一切の職務を奪われ、日々その日にやることを思いつくのに苦労している。

 外出することはできる。遠くへいこうとさえしなければ行動を制約されることはない。しかし、どこへいっても常に誰かにみられており気が休まることはなかった。散歩がてらに蘇州河の北側へいってみようとしたときは、ガーデン・ブリッジを渡り終えるところで男が立ちはだかり、「これ以上先へいっていただいては困ります」とだけいい、理由を問うても答えず、川を越えることを断固許さなかった。あるときナイトクラブで銃声があり、その銃声は自分とは関係がなかったようなのだが、数秒もしないうちにどこからともなく現れた数人の男にとり囲まれ、抱えられて外へ連れだされた。

 暇を紛らわす役にはたつが、なんとも鬱陶しいのが数日に一度の頻度でやってきて南京側への転向を求める蒋介石の使者だ。なかでも最も頻繁に現れるのが孔祥煕だ。姉の夫である彼の来訪を無下に断ることはできないが、毎度毎度同じ話を聞かされるのにはうんざりしている。同じ話を繰り返さなくてはならない孔祥煕の方も同じだろうけれども。

 しかし今日の客は、週に何度も押し掛けてくる客とは正反対の目的をもっている。

 目の前に座るアメリカ人ジャーナリスト、ビンセント・シーアンは「武漢へ逃げる手助けをしにきた」といった。

 シーアンとは一ヶ月ほど前に初めて会ったのだが、年齢が近いこともあって、すぐにファースト・ネームで呼び合う仲となった。そのとき、武漢へいくので慶齢を紹介してほしいというので、一通手紙を書いて手渡した。シーアンはその手紙をもって慶齢に会い、慶齢は弟を武漢へ連れ帰ってほしいとシーアンに頼んだという。

「TV。きみには私の通訳ということになってもらう。広東省出身ということにしよう。きみは広東にいたのだから多少は広東語もしゃべれるよな。姓は王でいいな。イギリス船に乗って武漢に向かう。チケットの手配は任せてくれ。僕と同じキャビンに寝泊まりすれば安全だ。蒋介石が気づいても手だしはできない」

「僕は常に見張られているんだぞ。船に乗る前に止められる」

「監獄に収監されているわけではないんだ。見張りの目をかいくぐることはできる。一瞬でも見張りの目をくらませば、そのすきに服を変え、眼鏡をはずし、深くハットを冠って通訳のミスター王に変身すればいい」

 蒋介石にはめられた枷をそうもたやすくはずせるとは思えなかった。しかし、武漢には帰りたい。それに、逃亡の試みが発覚したところで身体が傷つけられることはなく、この家に連れ戻されるだけのことだろう。

 子文は首を縦に振った。

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 シーアンが帰ってから三十分もしないうちに来訪者があった。姉、宋靄齢である。夫の孔祥煕をともなっている。

 靄齢はリビング・ルームのドアをうしろ手に閉めるなり、いった。

「子文。あなた、武漢へ帰るつもりではないでしょうね」

「な、なんだよ。いきなり」

 シーアンが去ってからの時間があまりに短い。この家の監視者が不穏な動きを察知し孔祥煕に連絡したのか。家の中での会話が聞かれていたのかもしれない。

 子文は背中に寒いものを感じた。

「それはダメよ。絶対にダメ」

「どうして大姐(ダージエ)がそんなことをいうんだ。僕が武漢に戻ることが姉さんとどう関係あるんだ」

「__(ババ)が亡くなってから、私にはこの宋家をまとめる責任があるのよ。あなたが武漢にいけば宋家が危なくなるわ。全てを失うことになるかもしれない」

「どうして僕が武漢に戻ると宋家が危なくなるのさ」

「そんなこと、わかりきったことじゃない。あちらは共産主義よ。私たちのような資産家は敵なのよ。武漢が南京に勝ったらどうなると思っているの。私たちは全てを失うわ」

「いっていることがわからないよ。僕が武漢に戻ることと武漢と南京のどちらが勝つかということは無関係じゃないか」

「私はあなたの力を知っている。蒋総司令も同じ。あなたがいかに有能かを知っていて、あなたが武漢側にいってしまうことをすごく怖れているわ。だからあなたをここに閉じこめているんじゃないの」

「僕がいったところで武漢が優勢になるということはない。僕にそんな力はない」

「そう思っているのはあなただけよ」

「それにだ。もし仮に武漢が南京に勝ったとして、なぜ宋家が全てを失うことになるのさ。武漢政府が共産党と連携しているからといって共産党は決して主流ではないし、今後も主流には成り得ないよ。それに武漢政府が共産主義に染まることを怖れているのなら、むしろ僕があちらにいった方がいいんじゃないのか。武漢政府のなかにいれば僕は間違いなく政府の共産化に抵抗する」

 この部屋にはいってからずっと黙ってふたりの議論を聞いていた孔祥煕が口を開いた。

「お姉さんはですね、あなたと敵味方になりたくないのですよ。家族がバラバラになるのを心配しているのです」

 子文は、「それはおかしい」と孔祥煕に向かっていってから靄齢に向きなおり、「武漢には二姐(アージエ)がいるじゃないか。二姐のことはどうでもいいというのかい」と、感情的にいった。

 靄齢は「ふん」と鼻をならし、横を向いた。

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「大姐。僕のことはほっといてくれ。これは僕の問題だ。自分のことは自分で決める」

と子文が声を荒らげると、靄齢は驚いた顔をした。子文が靄齢に対して感情をあらわにして楯突くことなど、いままでに一度もなかったのだ。

「いっているじゃないの。これは宋家の問題よ。勝手は許さない」

 悲鳴のような声で靄齢がいうと、孔祥煕が

「まあまあ、落ち着いて」

と、靄齢の気を鎮めようとした。

「なによ。これはあなたの問題でもあるのよ」

 靄齢は夫に向かって目を剥いた。子文は腑に落ちず、

「なぜ義兄さんが関係あるんだ」といったが、孔祥煕をちらりとみてから、「まさか大姐は蒋介石となにか取引をしているのか。僕をさしだすかわりに義兄さんの重要ポストとか、なにかをもらう約束になっているのか」

 靄齢はそれには答えず、

「それに美齢のこともあるわ。美齢と蒋総司令はおそらく結婚する。でもあなたが武漢にいったら、ふたりの仲がどうなるかわからないわよ」

「僕が武漢にいくこととふたりのことは関係がないだろう」

「あるわよ。慶齢だけならまだしも、あなたも武漢にいってしまえば、蒋総司令は陳潔如と別れてまで敵の妹である美齢と結婚することを躊躇するわ。美齢だって、大好きなあなたの敵とは結婚できないと思い苦しむでしょうね」

「結婚がなくなるのならばそれでいいじゃないか。媽媽(ママ)も二姐も反対しているのだから」

「ダメよ、そんなこと」

「なぜ姉さんがふたりの結婚にこだわる。いったい姉さんはなにをたくらんでいるんだ。ふたりが結婚すれば、この国で誰にも負けない力を得ることができるとでも考えているんじゃないだろうな」

「そんなこと、あるはずがないじゃない」

と靄齢は否定したが、目には動揺の色がある。

「大姐が蒋介石とどういう話をしているのかは知らないが、とにかく美齢と蒋介石との結婚はだめだ。二姐は『それは愛じゃない、政治だ』といって強く反対している」

「あなたはどうなのよ」

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