『ステーツマン』立ち読み 第901〜960段落
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「どうなんだ。答えてくれ。いまここではっきりと聞かせてくれ」
「好きよ。結婚したいわ。心からそう思っている」
子文は立ち上がった。
車に戻りドアを閉め、ふう、と息を吐いてから、いった。
「It's all settled(全て終わったよ)」
10
「久しぶりだな。風を感じるのは」
一九二七年七月十二日。子文は長江を遡る汽船の舳先に立ち、正面から強く吹く風に向かっていった。
去年の暮れにも長江の船上で風の声を聞いた。あれは広州をでて武漢に初めてはいる日のことだった。思えばあのあとすぐに自分の歩みはとまり、風もぱたりとやんでしまった。しかしいま、子文の額には真夏の風が一層強く吹きつけている。
この旅は軟禁状態からの逃避行ではない。子文は蒋介石の命を帯びて、武漢政府に降伏を勧告する使者として長江を遡っている。
子文が南京に合流すると決めてからまだ一ヶ月も経っていない。しかし蒋介石は子文の翻意の可能性を微塵も考えずに使者に指名した。
むろん、子文の意志は揺らがない。蒋介石は子文の目をみただけでそれを確信したのだ。
右前方に漢口租界のヨーロッパの街並がみえてきた。上海をでてから三日目である。
乗客が全身をのばしながら、
「やれやれ、ようやく着くのか」
と、ひとりごとにしてはやけに大きな声でいっている。
子文はそれとは逆に、これから始まる長い旅を予感し、ようやくその第一歩を踏みだすのだ、と思っていた。
全文は 【電子版】ステーツマン~宋子文1927 【単行本】小説集カレンシー・レボリューション でお読みいただけます。 |
このとき宋子文は蒋介石に宋慶齢への私信を託されている。
そこには、
〈夫人が上海にこられることを待つこと、雲霓(うんげい)を待ち望む如くです〉
と記されていた。蒋介石は愛を訴えるかのようなことばで慶齢の南京政府入りを望んだのだった。
しかし宋慶齢はこれを頑なに拒否する。
一方で、武漢政府の支配地域の経済状況がますます悪化するなかで汪兆銘ら武漢政府中枢のほとんどは抵抗の気力を失っていた。汪兆銘は南京政府の使者として訪れた宋子文に対し、蒋介石下野を条件として、南京政府に合流する意思があると伝えた。
七月十五日。武漢政府は共産党との決別を宣言し、大量逮捕、集団殺戮など共産党員の粛清を開始した。孫文が始め、四年弱にわたって続いたいわゆる〝第一次国共合作〟はここに終了したのである。
八月十三日に蒋介石がいったん下野し、九月九日に汪兆銘、孫科らが武漢を離れ上海にはいった。同十一日、十二日の二日にわたって会議がおこなわれ武漢派と南京派に西山会議派(上海を本拠とする右派グループ)を加えた三派の連携が成立する。
しかし宋慶齢は、武漢の共産党員粛清のあと、しばらく上海モリエール路の自宅に籠り、八月下旬、密かに貨物船でソ連へと発った。出立後に声明をだしたが、それは社会・経済体制のありかたを論じるというよりも、孫文の思想に忠実であれと訴えるものであり、すなわち宋慶齢はこの声明によって国民党の政策変更の問題点を糾弾しようとしたのではなく、時間の経過とともに薄れてゆく孫文の影を護ろうとしてもがいていたかのようだった。
孫文の思想にというよりも、孫文への愛に殉じようとしたといっていいかもしれない。
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