『上海ノース・ステーション』立ち読み
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田中隆吉は事件のあった二十三日のうちに重光殺害に成功したとの報告を受けていた。ところが新聞紙面上に「重光」の文字はなく、殺されたのは田中が聞いたこともない唐腴臚という男のみだったというのだ。田中は歯を軋(きし)ませたことだろう。
重光葵は自分自身が事件現場におり、かつ現場を離れてからの状況は前日のうちに海関総税務司署で聞いているので七月二十四日の新聞に驚きはしなかった。重光が驚くのは遥か後年になってからである。事件が起きたとき、重光は自分の命が狙わたのだと思ったが、そのあとすぐに宋子文が襲撃されたことを知り、自分はただその場に居合わせただけだったのだと考えた。しかし十数年後、唐腴臚は宋子文の身代わりに撃たれたのではなく、自分と誤って殺害されたと知った。田中隆吉が関東軍参謀として新京(現長春)にいたとき、宋子文暗殺未遂事件の際に重光に同行した林出も満洲国皇帝溥儀の側近として新京にいたのだが、そのときに田中が林出に、宋子文暗殺に乗じて重光殺害を企てたことを明かす。重光は林出からの話であの日自分の命が危険に晒されていたことを知ったのである。
宋子文暗殺未遂事件から約半年後の一九三二年一月十八日、上海で日本人の日蓮宗僧侶が襲撃され死傷者がでる事件が発生した。これが同月二十八日に始まる日中間の軍事衝突、いわゆる第一次上海事変勃発の原因のひとつとなるのだが、田中隆吉本人の証言によれば、田中は、満洲事変の首謀者である板垣征四郎関東軍高級参謀らに「満洲に注がれる列国の目を逸らすために上海でことを起こせ」と命じられ、川島芳子らを使って日本人僧侶の襲撃を実行した。
中国人によって日本人を殺させる。この手口は重光暗殺と共通している。その発想は、重光暗殺未遂の際に得られたもので、田中隆吉にとって日本人僧侶襲撃は半年前の失敗の意趣返しだったと想像される。そう考えると、七月二十三日朝に起こった上海北站における暗殺未遂事件は、一見日本とは無関係だが、第一次上海事変、日中戦争、太平洋戦争と続く日本の歴史の河の流れの一部を成す、記憶されるべき重要なできごとだったということができる。
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