TOP > 大薗治夫 > 中国旅行記 > 西施を助手席に載せて杭州近郊をドライブ

本ページでは他サイト等に掲載された大薗治夫の過去の著作物を再掲しています。

西施を助手席に載せて杭州近郊をドライブ

国慶節の予定を立てるのが遅すぎた。

9月中旬までは忙しく休みがあることなど忘れていた。9月の末になって10月の1日から3日にかけてどこかに行こうと思い立ったのだがなかなか事がすすまない。

まずは小手調べに杭州のシャングリラへ電話してみたところ西湖向きの部屋を除き空いているという。拍子抜けしつつ、とりあえず部屋を押さえた。

杭州はもう過去4回も行っているので、続けて他の場所を模索し始めた。ところがこれがうまくいかない。桂林、黄山という超メジャーの観光地に未だ行ったことがないのでこの機会にと思ったが宿が取れない。ガイドブックに掲載されているところに片っ端から電話したがだめである。やっとの思いで黄山に一泊2800元のスイートを見つけ、高いが野宿するわけにはいかないので予約を入れる。次に飛行機の予約を試みたが席がない。飛行機が取れないということは車で行くしかないと思い上海―黄山の時間を調べてみると11時間程度ということだ。これは3日間の行程ではちょっと無理だ。

黄山を諦め、他の場所に挑戦を開始したのだが、宿の予約以上に飛行機の予約の方が困難なようなので、まずは航空チケットの予約を試みたのだが全くだめだ。結局疲れてしまい杭州行きを決心した。杭州の町はほとんど見たが、杭州を起点に紹興や寧波に行ってみるのもよいと考えた。

そして杭州までの足を確保しようとしたのだが、飛行機も鉄道もチケットがとれない。こうなると車しかない。タクシーを借り切るという手もあるが、それではいくらかかるか分かったものではない。杭州往復の費用の他にも運転手の宿代もださなくてはならないであろう。そこでレンタカーをしようと思い立った。以前は自分で運転していたのだが、都合で車を売ってから3ヶ月が経つ。上海での運転は好きではないが、外国人でもレンタカーができるとの噂を聞き一度試してみなくてはと考えていたところである。ちょうどいい機会がやってきた。

車があれば行動が自由であるので、杭州の周辺を見てまわるのに便利である。地図を見ると杭州の周りには結構山があるようで、風光明媚のところもあるに違いない。

ということで今回の「中国は広い」は杭州周辺への旅について書こうと思うのだが、ほんの3日の行程であったため観光のみについて述べるのはやや物足りない感がある。そこで、今回は車を使っての旅であったので、中国での車の運転について日頃思っていること・感じていることを併せて書いてみたい。皆さんがレンタカー等を使いご自分でハンドルを握られる際の参考にしていただければ幸いである。


レンタカーは空港の安吉汽車租賃公司で借りた(電話番号:6268-0862)。国慶節前の9月29日に予約をしようと思い店に行き「国慶節のみ車を借りたい」と言ったところ、予約がいっぱいで車がないという。「それは困る」と泣き付いてみたところ、今すぐ借りれば貸してもいいとのことだ。レンタル期間が長期になればそれだけ儲かるということだろうが、最初に車がないと言ったにもかかわらず結局車が出てきたのは、国慶節のみという短期には貸さず長期には貸すということなのか、もともとあった短期の予約を勝手にキャンセルし長期の客に貸してしまうということなのかはわからない。レンタル費はサンタナ2000が一日380元、普通のサンタナが一日340元(保険が含まれている)。マニュアル車である(中国製の車にはオートマ車はないと思う。オートマチックというのは結構難しい技術だそうだ)。私は中国で取得した免許証とパスポートを提示して車を借りたが、中国の免許を持たない人でも、国際免許証を中国内で通用する臨時(2ヶ月有効)の免許証に切り替えることによって運転できるそうだ。ただしこの手続きは空港の安吉汽車租賃公司以外ではできないらしい。


さて、初日の行程であるが、まずは318号線で青浦を越え、定山湖の横をかすめ湖州へ。そこで104号線に乗り換えるのだが、ここからは景色が変わり山間の道となる。道幅が広く交通量も多くないので快適なドライブとなる。上海では見られない景色であり、「春秋のころには呉越の軍隊も通過したのだろうか」などと思わず思いを巡らせる。傾国の代表格である西施もここを通って呉の都であった蘇州に向かったかもしれない。

ところで私はこの西施という女性に大変引かれている。彼女は言わずと知れた、越王勾践が隣接する大国呉を弱体化するために呉王夫差に送った絶世の美女である。この時に実は呉への派遣要員としては二人の美女が選ばれており、西施といっしょに選抜された鄭旦の方が美しかったようだ。ところが越王勾践は西施を呉王夫差に、鄭旦の方は夫差の側近に差し向けるよう命じた。越王勾践の周囲のものは首を傾げたことと思うが、王ともなれば女性経験は一般人の比ではなく、いわば女性のプロである。そのプロが選んだからには外見以外のなにかが西施にあったのだろう。二人の美女は呉へ送られる前に一般的作法、踊り、化粧などの他に、夜の作法も、基本動作から歓喜の泣き方まで、さらにはさなぎが蝶に育っていくような段階的変化の方法までたっぷり学んだはずであり、そのへんの「高等技術」をも織り込んでの判断だったに違いない。「ひそみ」に常にしわを寄せていたという一見病弱な西施はひと度灯りが消されると別人と化し舞ったのだろう……。2500年前の美女は今でも私の心を捉えて離してくれない。

ここで横道に外れさせていただきたき、もう一人の傾国の美人褒ジ(「ジ」は女ヘンに以)についてご紹介し、私の美人についての考え方をちょっと述べさせていただこうと思う。西施の時代からさらに溯ること300年の美女褒ジは「笑顔」で周を、傾けるどころが潰してしまった。褒ジはめったなことでは微笑まなかった。おとなしい慎ましやかな女性であったのだろう。周王朝東遷前の最後の王である幽王は褒ジを溺愛した。もちろん美しくスタイルも抜群だったに違いないが、まれに、それこそ一年に数えるほどしか見せない微笑みは王朝末期に特有の停滞した雰囲気を吹き飛ばしてしまうような輝きがあった。この褒ジがある日声を出して笑った。当時敵国が領内に侵入した際には烽火が上げられ、それを見た諸侯は周都に集まることとなっていた。ある時に何らかの理由で烽火が上げられたため、国の一大事と諸侯が急遽集合したが都はいつもとかわらず平穏無事であった。この時、あわてふためいた諸侯と気まずそうな幽王を見て褒ジが笑ったのである。微笑みだけで宮殿を明るくしてしまう彼女が声を出して笑ったのである。幽王は何とも言えない快感を覚えてしまった。そしてこの瞬間に周と幽王は滅亡に向かい始め褒ジの笑顔見たさに二度、三度と烽火を上げる。その結果は明らかで、実際に敵国の侵入があった際に諸侯は救援にやってこなかった。

西施や褒ジといった傾国と言われる美人に共通するのは、まず普段は静かでおとなしいということ、そしてそれが、昼と夜で豹変するとか、たまに見せる微笑みが超弩級にかわいいとか、変化するということだ。我々が足元にも及ばない女性のプロである中国の皇帝達をも魅了してしまう美女というのは外見だけではないのである。

(参考文献は本連載終了時にまとめて掲載します)

前へ 1ページ 2ページ 3ページ 4ページ 次へ

16世紀の広西壮族のスーパーヒロイン瓦氏夫人をモデルとして描く大河小説。
2021年12月28日第2版発行



技術の進歩が社会にもたらす不可思議を描くショートショート8本。
2019年6月17日刊行



近代外交経済小説の表題作および『ステーツマン』『上海ノース・ステーション』の三篇を収録
2017年5月15日刊行



連作『倭寇の海』第一弾。嘉靖大倭寇に最初に挑んだ英傑、朱紈の物語。東洋一の密貿易基地で海賊の巣窟、双嶼を攻略する……
2016年2月18日刊行



キャンパスの花は魔性の間諜か?平和の女神か?
2014年1月18日刊行



天才エコノミストが通貨の力で戦争を戦い、通貨の力で戦争を終わらせる……

Copyright(C) since 2011 OZ CAPITAL LTD.