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本ページでは他サイト等に掲載された大薗治夫の過去の著作物を再掲しています。

神々と日焼けと高山病のチベット

ラサへの道は遠い

中国は広い。もちろん面積も日本の約26倍もあるが、社会も極めて多様である。上海の人は自分のことを上海人と呼ぶ。上海人の言葉は上海語と呼ばれ、上海人以外には全くわからない。いわゆる「マンダリン」と上海語は、日本の標準語と鹿児島弁ぐらいかそれ以上の違いがある。上海人複数と当方1人で食事をすると彼等の間の会話は全然わからない。賑やかなレストランの中でも太平洋の真ん中に一人でいるような気分を味わえる。人々の体格・見ためも場所によって大きく異なる。現在上海のレストラン等では安徽省や四川省から来た小姐(「シャオジエ」、若い女性の意)が多数働いているが、彼女達は一般に上海人に比べ背が低く、顔が丸いなどの特徴がある。自慢じゃないが「この子は上海人じゃないな」と思った時に外れたことがない。このように同じ漢族の間でもこれだけ違うのだが、中国には56の民族(漢族の他チベット族、モンゴル族、回族、白族等)がいるといわれ、彼等はそれぞれさらに異なる社会を形成している。

私は現在上海に勤務しているが、この勤務中にできるだけ中国を知ろうと思っている。しかし上海にだけいたのでは上海のことしかわからない。広い中国を知るには出歩かなければならない。よって暇があれば各地を旅行することにしている。

と、まあ理由を付けたが、要は旅行が好きなのである。今回はチベットを旅行することとした。チベットは遠い。そう簡単に行けるところではない。上海駐在の銀行・商社マンの多くは中国経験が長いが、彼等の中でもチベットに行った人は少ない。そこで本稿で皆さんにチベットについてご紹介したいと思う。ただし各訪問先の詳細等は「地球の歩き方」等を見ていただければよいので、ここでは各地で受けた印象などを中心に述べようと思う。また、旅行中、中国社会をかいま見られる出来事もいくつかあったので、それらについても触れてみたいと思う。


出発前

中国の旅行は宿、食事、移動からトイレに至るまで楽ではないが、今回の旅行も何かと苦労の多いものであった。そしてその苦労は旅行の前から始まった。

現在チベット旅行は外国人に完全には開放されていない。チベットに入るにはツアーに参加するか当局の許可証を得てからチベット入りのチケットを購入しなければならない。この許可証は比較的簡単にとれると聞いていたが、行く人があまりいないのでよくわからなかった。申請から発給まで2ヵ月はかかり、場合によっては発給を拒否されるという噂もあった。

4月に友人のU君よりチベットに行かないかとさそいを受け(U君は中国政治史の学者の卵。彼との旅行は2回目である。私には経済の目しかなく彼には政治の目しかないので二人で共同して中国を見ようということだ。前回は中国最貧困省である貴州省に行った。)、日程を7月下旬とした。申請はなるべく早く行いたかったが、早すぎても申請後に都合が悪くなるかもしれず、出発1ヵ月前頃にしようということになった。しかし6月下旬にある突発的仕事で多忙となりすっかり忘れ、結局申請を行ったのは7月初めであった。7月20日から26日の日程でチベットに行きたい旨申請し、同時に上海ー成都間の航空券の予約を行った(成都ーラサ間の航空券は入域許可証がないと予約もできない。なお上海ーラサ間の直行便はなく、通常成都からの便を利用する)。

申請を行ったものの、チベットからはなにも言ってこず1週間が経過した。不安になったので催促をしたところ、その2日後に
「いつチベットに行きたいのか」
と聞いてきた。今まで何もやっていなかったらしい。すごく不安になってきた。

さらに1週間が経過したがまだ許可がでない。出発予定日まで6日となっている。再び催促したところ、
「だいじょうぶ。安心していい」
という返事である。6日しかないのに安心なんかできない。それに成都ーラサ間の航空券がとれないかもしれない。ホテルも一杯になるかもしれない。

出発2日前になっても許可が出ず上海ー成都間の航空券は発券しなかったためキャンセルされてしまった。もう行けないものと覚悟した。

出発前日の朝に許可が出た。いそいで上海ー成都間の航空券を買いにいく。心配していた成都ーラサ間の航空券もホテルもすべて確保できた。やれやれである。午後になって予算書が送られててきた。2人合計で、成都で約5000元、チベットで約30000元(1元は約14円)だそうだ。この料金には成都ーラサの航空券、成都での前泊及びラサ6泊の宿泊費、チベットでのすべての食事代、ガイド代、車代、運転手代、寺院参拝料等が含まれている。すでに購入した上海ー成都間の航空券、チベット観光後に予定している成都1泊と併せれば日本円で1人約30万円ということとなる。高すぎるとは思ったが、ここまできてやめるわけにはいかない。先方の予算書に、ラサでの宿泊を1人1室から2人1室に変更し若干安くするよう依頼し、その他は異存のない旨書き入れて送り返した。


上海ーラサ

上海から成都へは朝一番の西南航空である。実は私はこの西南航空が苦手である。中国の民間航空は以前は1社の独占であったが、改革開放の中で航空会社の分割が行われ、数十社の航空会社ができた。この数十社のサービスが、元は一つの会社とはいえ、各社で全然違うのだ。私のお気に入りは上海航空で、美人揃いはいうまでもないが、サービスもなかなかのものである。上海航空から日本航空へ毎年10人ほどのスチュワーデスが派遣され3年間勤務しサービスを学んでいる。機内では乗客に対しサービス内容を問うアンケートが配布され、乗客の声に耳を傾けている。上海航空のサービスが良いのは、同様に上海をベースとし、上海航空よりひとまわり大きい東方航空との競争にされされているためと思われる。他方で西南航空は成都の乗客をほぼ独占しているためサービスがあまりよくない。先日の貴陽からの帰路では搭乗するのが最後になったため座席上部の荷物スペースがなくなり、スチュワーデスに荷物を置けるところがないか尋ねたところ、「荷物があるなら早く乗ればいいのに」と怒られてしまった。今回の旅行ではこの西南航空に3回も乗らねばならない。憂鬱である。

搭乗し、無愛想なスチュワーデスを横目に着席した。私の席は3人掛けの真ん中の席で、窓際のおじさんは肘掛けから大きく肘をはみ出し(それにしても飛行機の肘掛けは誰のものなのだろう、いつも悩む)、足元に鞄を大きくはみ出して置いている。搭乗するなり不快になっているところで、通路側より妙にハイトーンな声が聞こえてきた。U君である。彼の方を見ると、彼の向こうに通路を隔て可愛い小姐が座っているではないか。やられた。いつもは真面目なU君がとても楽しそうだ。旅の最初からこれでは先がおもいやられる。

私はこれも運だとあきらめ、彼に協力することとした。真面目な彼に、まるで結婚が遅い男の親戚のおばちゃんのように、いろいろアドバイスをした。

「最初から話続けては警戒される。間が大切だ。フライトの2時間半を有効に配分して話をするんだ」、「(彼女が雑誌を読み続けているので)食事中は雑誌を読まないはずだ。食事の時間を狙うんだ」、「チベットから成都に再び返ってきた時に昼食にさそうんだ」等々。アドバイスに彼が忠実に従ったせいか、若くは、U君がいつもは真面目な顔をしているが意外に話がうまいせいか、2人は意気投合したようだ。我々はチベットからの帰路に成都で1泊を予定しているが、いっしょに食事と観光をする約束をつけたそうだ。

彼女の名字は張さん。3か月前より広島に留学中で、夏休みで里帰りをするところだそうだ。親には知らせずに驚かせるとのことだ。留学最初の長期休暇と言えば、我々の感覚では留学先の国内旅行でもしそうなものだが、そこは家族を大事にする中国人である。彼女のように若くても家に帰りたいと思うのであろう。親は政府の高官のようで、いわゆる「お嬢さま」である。

日本の印象を尋ねると「清潔」という言葉が返ってくるだけであり、そんなに楽しいという印象を持っていないようである。中国人の留学先は1にアメリカ、2に日本であり、多数の中国人が日本に留学している。よくアメリカに留学すると中国に帰ってこない、日本留学生はその多数が中国に戻ってくると言われる。上海でアメリカ留学経験者と話をするとアメリカに非常によい印象をもっているのに対し、日本留学経験者からはあまりいい話はきかれない。この原因として考えられるのは、日本において彼等が少なからず差別をされるということである。アメリカは多民族国家であるため差別を否定する教育がなされており、すくなくとも表面的には差別をしないのに対し、日本はそのような教育が不十分なため、日々無意識のうちに差別をしてしまっているのではないか。張小姐を空港から市内へ我々の車で送ったが、成都市内に入った時に「やっぱり日本より成都のほうが良い」と言ったのが印象的であった。

翌日、早朝のフライトでラサへ向かう。また西南航空である。そして再び不快な思いをさせられた。我々の座席は最後尾だが、前の座席との間隔が極端に狭いのだ。間隔は18cmで、膝はかろうじて入るが足を組むこともできない。最後尾なので背持たれを倒すこともできない。足元においた荷物からガイドブックを出したかったが億劫なのでやめた。座席を一列無理やり押し込んだという感じだ。

標高3600メートルのラサに到着した。空が真っ青である。気温は20度程度だろうか。日差しが強く太陽の下にいると非常に暑いが木陰に入ると涼しい。爽快である。空港には趙さんが向かえにきてくれた。30歳の男性である。チベット族と漢族のハーフで、子供はいるが結婚はしていないそうだ。何でそういうことになったのか興味はあったが最初から立ち入った話もどうかと思うので取り敢えず聞かなかった。彼はこれから7日間われわれの案内をしてくれる。

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