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本ページでは他サイト等に掲載された大薗治夫の過去の著作物を再掲しています。

神々と日焼けと高山病のチベット

張小姐との再開と別れ

ツェタン

第6日目、まずツェタンの外れにあるユムブ・ラガンに行く。ユムブ・ラガンは吐蕃時代の宮殿とされる丘の上に建つ小さな建造物であり、中世ヨーロッパの小城を思わせる作りである。

その後ツェタンからラサへの道のり200kmの途中から悪道を10km程入った所にあるミンドゥリン寺を参観する。ここはチベット宗教の4大宗派の一つであるニンマ派の総本山である。ここで印象的であったのは、釈迦牟尼像を中心とする仏殿に隣接する建物にあるニンマ派教祖像の部屋の色彩である。今まで見てきた寺内部は赤、黄を基調とするものであったが、この部屋は赤、黄の他に青、緑、ピンク等が惜しみなく使われている。例えるなら趣味の悪いネクタイにありそうな色使いだが、これが意外に美しさを感じさせる。

今回の旅行中は車での移動が合計で約20時間に及んだが、この間強い日差しと長時間座っているために痛くなる尻の他、大音量でかけられるカーステレオには閉口させられた。趙さんは4本のテープを持ってきたが、それを次から次へとバカデカイ音で聞くのである(本人は我々に親切で聞かせているつもりかも知れない)。20時間で4本のテープということは、1本のテープが40分として、同じ曲を7回も聞くこととなる。それもほとんどが、いかにも中国調のとか日本の演歌の中国語バージョンとかで、いずれも耳に残る音楽である。美しい大自然の中で、「おまえ~をみちずれにぃ~(の中国語版)」はまったく合わない。

それにしても趙さんは若いのになぜ我々には「古い」と感じる曲ばかりを聞くのか。上海の若者を見ていると、どうも25才あたりを超えると音楽の趣味がやや古いようである。私の感覚では、日本の流行音楽は20数年前に荒井由美等により1回目のリズム・音階の複雑化が生じ、さらに10数年前に角松敏生等及びその後のドリームス・カム・トルゥーや小室哲也等によりさらに複雑化した。人間は若い頃、おそらくは20歳頃までに聞いた音楽以外は心地よく感じないのではないかと思われ、従って日本人で言えば、30数歳以上の人は第2回目の、40数歳以上の人は第1回目の音調複雑化以降の音楽を心地よいと思わない。逆に若い人は昔の音楽を聞くと不快に感じる。上海については、私の印象だが、ここ数年で第1回目の音調の複雑化が生じ、現在第2回目が生じつつあるところのように思われる。そのため25歳程度以上の人は日本の同世代の人に比べ音楽の趣味が古く、例えば安室奈美江の音楽を聞かせると「太快(早すぎる)」と言う。チャゲ&飛鳥の飛鳥が上海でコンサートをし大変な人気であったが、飛鳥(又はチャゲ&飛鳥)の曲のうち中国語化されたものを集めたCDを聞いてみて驚いた。昔のフォークソングのような妙に古い感じのする曲がほとんどなのである。恐らくはそれが中国の若者の最大公約数に受ける曲なのであろう。

午後5時頃ラサ着。ホテルにメッセージが入っており、職場より2件の小さな仕事を言いつけられた。1件はラサで、もう1件は成都での仕事である。U君は「また勝手なことを。出張旅費もくれないのに」とぶつぶつ言っている。私は「Uがやるから関係ないか」と思いながら部屋に行く。

すこし休憩してから買い物に出た。曼荼羅(マンダラ)を買うためである。U君は曼荼羅がすっかり気に入り、既に3つ買っている。私もチベットに来たからには一つは買おうということで土産物屋巡りに出た。

ここで曼荼羅について少し説明しようと思うが、その前にまずは仏教について復習しておこう。

仏教はインドでおこり、アジア全般に二つのルートで広まった。小乗仏教と大乗仏教である。小乗仏教は紀元前3世紀ころにスリランカに伝わり、その後、東南アジア諸国へ広がった。大乗仏教には二つの流れがあり、メインストリームはガンダーラから中央アジア、中国、朝鮮半島、日本への流れである。そしてもう一つは、ヒマラヤを超えチベットへ伝わった。この伝達経路の違いがチベット仏教と日本に伝わった仏教とに種々の違いをもたらした。十三世紀にイスラム教徒の進入によりインド仏教が滅び、多くのインド仏教僧がチベットに亡命したが、チベット仏教はインド僧により直接伝えられたため、中国・日本の仏教に比べインド仏教に近い数々の側面を有することとなった。同時にチベットにはポン教という土着宗教があり、これと融合したためラマ教と呼ばれる独自の形態に育ったのである。チベットへ伝わった仏教は中国の元朝に伝わる。モンゴルでラマ教が栄えたのはこのためである。

仏教の教祖は言わずと知れた釈迦である。釈迦は悟って仏になったのだが、後世の大乗仏教の人々は、「釈迦以外にも仏がいるはずだ」と考えた。そして釈迦以前にも6人の仏がおり、未来(何と56億7千万年後!)には弥勒(みろく)菩薩が現れると信じられた。また、現在に仏はいないのはあんまりだということで、現在にも阿弥陀(あみだ)如来等が活動していると考えられるようになっていった。さらにこれら仏達の大親分が毘盧舎那(びるしゃな)仏である(奈良の大仏は毘盧舎那仏)。釈迦はこの世に実際に現れて教えを広めたが、毘盧舎那仏は教えそのものとされる。釈迦は毘盧舎那仏の化身なのだ。7世紀頃にインドで大乗仏教が発展し密教になったと言われるが、毘盧舎那仏が密教思想に基づいて発展したのが大日如来である。宇宙の森羅万象は全て大日如来の智慧が作りだしたものとされ、同時に宇宙の森羅万象全ては大日如来の慈悲に包まれているとされる。

さて曼荼羅である。曼荼羅は密教思想の世界が描かれたものである。曼荼羅には二種あり、一つはこの大日如来を中心とする宇宙が描かれる。大日如来を中心に、さまざまな仏、菩薩、明王が配置される。もう一つは釈迦如来、阿弥陀如来等を中心とするものである。現在の曼荼羅は通常紙や布に描かれるが、インドで密教が興った当初は儀式の時に屋外に土を使って描いたようであり、チベットにはその風習の流れが残っているとのことである。映画「セブン・イアーズ・イン・チベット」にも出てきたが、数々の色の砂を用い曼荼羅を描くのである。ただし、残念ながら今回の旅行中は見ることはできなかった。

曼荼羅はハンドメードであり、僧侶が念仏を唱えながら何週間もかかって描くという。よって結構高い。中国であるので値切れば値札の70%程度にはなるのだが、A3くらいのサイズのものでも1万円はする。しかしカラフルで実に美しい。U君は全部で5枚買い5万円程度注込んでいる。私も2万円のを一枚買った。


帰路

第7日目、朝5時に朝焼けの中を空港へ。

また西南航空の利用で不快な思いをした。ただし今回は飛行機の中ではない。座席上部の荷物スペースがなくなりスチュワーデスに怒られることを恐れた私たちは出発待合室の出口で搭乗を待っていた。搭乗15分位前にはすでに我々の後ろに10m程の列ができていたが、その時親子3人連れが突然我々の前、すなわち10mの列の先頭に割り込んできた。一瞬何が起きたのかわからなかったが、我々の後の女性2人組より「並んでるのよ!」との声がありやっと事態をつかんだ。U君はこのような無礼な行為を許せない男である。猛然と怒りだした。同時に割り込んできた親子連れのオヤジも怒りだしたが、彼の言い分を聞いて唖然とした。言い分とはすなわち「2人や3人いいじゃないか」というのである。これでは議論にならない。2人が口論している間に家族ずれの荷物を足で少し後に下げ、我々の荷物をその前に置いた上でU君に「もういいよ。我々の方が前になったから。オヤジは無視しとけ」と声をかけた。これで順番は我々、割り込み親子連れ、女性2人組となったが、割り込み親子連れのおやじはこれ以上何も言わず、女性2人組及びそれ以降の人々も文句を言わなかったため順番が確定した。

割り込まれて文句を言わないというのは日本人には理解しがたいが「2~3人なら大して影響がない」と合理的に発想し我慢したのであろう。これに似た例を挙げると、片側2車線の道路を運転していて車線変更しようとする時、日本では合図をすれば譲ってくれるが、何も言わずに割り込むとえらく怒られる。別に割り込まれた方がブレーキを踏むようなことがなくてもだ。中国では容易には入れてくれないが、一瞬の隙をついてスッと入っても、割り込まれた方は急ブレーキを踏まされるのでもなければ大らかで何も言わない。どっちが正しいとは言えない。両者の考え方の違いである。

11時過ぎ成都空港に到着。もともとの計画では成都に1泊して上海に帰る予定であったが、高山病で疲れ切ったので成都に泊まらないこととした。U君には、「おまえはデートがあるのだから泊まらなきゃだめだ」と言ったが、彼も明日より友人が上海に来るとのことで帰ろうか悩んでいるらしい。「張小姐には上海で会えばいいですよ」と余裕のふりをみせているが、どうも煮え切らない様子である。「上海行きの飛行機まで3時間半程余裕があるから町まで行って昼飯でもいっしょに食ってくればどうだ」と言ったところ、U君はそそくさと町へ行ってしまった。

私は一人カフェでこの原稿を書きながらかれの帰りを待つこととした。

1時間ほどしてU君は張小姐を連れて戻ってきた。「『先輩は高山病で苦しんでいるので来れない』っていったら、彼女は『お見舞いにいく』って言うんです。だからいっしょに戻って来ちゃいました」とのことである。優しい子だ。中国の3大美人の産地と言えば大連、蘇州、成都だそうだ。そして上海も美人が多いことで有名である。上海は蘇州と、かの「ひそみに倣う」の西施の出生の地として有名な杭州のいずれからも至近距離であるので当然であろう。美人と言えば冷たいもので、少なくとも上海人の美人は性格がキツイと言われている。しかし以前よりU君は成都の女性は見た目だけでなく性格も良いと言っていた。「ほら言ったとおりでしょ」うれしそうだ。

ここで私は前日に思い切って大枚をはたいて買った曼荼羅をどこかに忘れてきたことに気付いた。しまった。空港内のチケットカウンター、商店の人から掃除のおばさんにまで聞いて見たが結局出てこなかった。空港への車でも、飛行機の中でも後生大事に抱えていたのに。

飛行機出発1時間前となり、張小姐に別れを告げて搭乗ゲートに向かう。張小姐はいつまでも見送っている。U君はしきりに「良い子ですね」を連発している。うれしそうだ。片や私は旅行中ずっとツキがない。そういえばU君は寺巡りで、主な仏像の前では必ず手を合わせ、歳銭を出していた。片や私は仏像にちりばめられた宝石を見ては「いやー、いくらぐらいだろう」などと言っていた。その違いが出たのかもしれない。

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