朱家尖へ
普陀山から次の目的地、朱家尖へは船でわずか5分ほどと近い。10人強乗りの高速艇が10分おきに両島をつないでおり大変便利だ。
朱家尖は普陀山のすぐ南に位置する。面積は72平方キロ。パンフレットの表紙には「ハワイは遠すぎる。朱家尖に行こう」と書いてある。もし「中国のハワイ」と書いてあれば大げさに過ぎるといえるが、この程度の表現なら良しとしよう。海と緑が大変多い島であることは確かである。
★朱家尖への行き方
最も一般的なのは、我々が採った行き方、すなわち普陀山まで高速艇で行き、普陀山から小型の船で朱家尖へ渡るというものだろう。
最も楽なのは、飛行機利用である。島の中心に空港があり、上海、北京、アモイなどから直行便がある。
上海から夜行の船も運航されている。
樟州湾
朱家尖でまずいった観光地は樟州湾である。
ここに到着して、やや唖然としてしまった。
入り江なのだが、浜は黒い大粒の砂利でできており、すぐ後ろには高さ5メートル程の堤防がある。海の水は黒ずみ、漁船らしき船が数艘停泊している。
「これが観光地?」
思わず同僚に向かって言ってしまった。貝で作った首飾りやら笛やらを売っているおばさん・おじさんがビニールシートの店を広げているのが唯一観光地らいし景色である。
パンフレットによれば、波が砂利をあらう音が音楽のようであるというが、この場所でそんなことを感じることができる人は相当に詩人である。
漁船に乗り、少し入り江を巡る。船頭に「あの岩は龍に見える」と言われてもちょっと興味が持てなかった。
それにしても中国では、岩のあるところ、必ずといっていいほど龍や亀に例える。今回の旅行中も5匹の龍と1匹の亀に出会った。鍾乳洞など行くと、ガイドの説明はまるで動物園にいるかのようである。夜空を見て、下半身が馬の人間とか、琴を弾いている女性とかを想像できた人もすごいと思うが、結局のところ現代人は想像力が退化してしまったということか。 情人島
「情人島」という、思わず興味を惹かれる付けられた島は、朱家尖の南東部にある。長さ1キロメートル強、幅は細いところで100メートル弱の小さな島である。
情人島へは「情人橋」という、これまた恥ずかしくなるような名前の吊り橋を渡っていく。97年に建設されたこの橋の長さは約100メートルで、橋ができる前は引き潮を待って渡ったのだという(左写真。左手奥が情人島)。
橋を渡ってからは、「オシドリ林」を「情人路」という小道を進んでいく。自動車はシャットアウトされるようで結構静かな遊歩道だ。道路脇ところどころ電灯があるところをみると夜も通れるようで、中国ではあまりお目にかかれない浪漫的場所である。
途中で遊歩道を左に折れると、断崖を海に向かって降りていく道があり(蛇が出てきたのには驚いた)、眼下に「龍の頭のように見える」岩などを見ながら10メートル程崖沿いに下がるとトンネルがある。「情雨隊道」と名づけられているのだが(「恋人と雨やどりに入るトンネル」といった意味か。ああ恥ずかしい)、入り口からは真っ暗でまるで洞穴のようである。このトンネルは途中で折れ曲がっており、曲がったところからは出口の光が見えるが、そこまでは結構恐る恐る進むことになる。そもそもなくてもいいような場所にあるトンネルで、また途中で曲がっている必要は何もないので、「女性がキャ-キャ-いいながら男性の腕につかまるように」というのが目的で作られたトンネルなのかもしれない。じゃあ、さっき出た蛇もそんな演出の一環?なわけない。
遊歩道に戻り、さらに進むと2人用のバンガローが並ぶようになる。この島全体が徹底してカップル用に作られているようだ。ただこれらは最近は使われていないようで、荒れ放題となている。
そこから坂を上っていくと島の南東端に到達し、そこに「情人島倶楽部」という普陀区人民政府が運営しているホテルがある。ロビーのカフェで休憩をしたのだが、その窓や、隣接したレストランのバルコニーからの景色は、目の前に海が大きく広がりなかなか気持がいい。今回の旅行は、実を言えば旅行前は紙にするつもりはなかったのだが、ここの景色を見て「皆さんに紹介したいな」と思った次第である。なお、このホテルはなかなかいい場所に立地しており、また概観も3つ星クラス程度ありそうに見えるのだが、あまり流行っていないようであった。ガイドが言うには以前はここにカジノがあったそうだ。「大陸中国にカジノ?」と一瞬信じ難くもあるが、車の近づけないこの立地を考えればありそうな話でもある。その話が本当だとすれば、当時はそれなりににぎやかな場所であったのだろう。
★「情人島」の名は、以下の伝説から来ていると言われる。
むかし、東沙を散歩していた朱海桐という美人に青竜(伝説上の動物)が一目惚れした。青竜は漁師に姿を変え朱海桐の前に現れる。朱海桐もこの精悍な若者に恋をし、二人は人目につかない「后門山(情人島の以前の名称)」の崖に洞窟を掘り、そこを花で満たし、永遠の愛を近い、また毎朝この場所で逢うことを約した。
そんな二人を見て嫉妬した烏蛇がいた。ある日、東海の龍王が青竜を渤海に派遣したが、それを知らずにやってきた朱海桐の前に青年が現れ、青竜が病気であると告げた。朱海桐は驚き、急ぎ后門山へ向かう。人目につかない場所に来たところで、青年は突如烏蛇に姿を変え、朱海桐に襲いかかった。哀れ朱海桐は辱めを受けまいと自ら舌を噛み切り死を選んだ。
翌日、かもめから一切を聞いた青竜は怒り、烏蛇を殺す。
青竜は朱海桐を后門山に埋葬し、墓の横には龍の首を置き墓を守らせた。青竜自信も石の龍となった。
人々は、青竜と朱海桐の恋を記念して后門山を「情人島」と呼び改めるようになった・・・
南沙・東沙
情人島の対岸すぐは、情人島からみて左に南沙、右に東沙が広がる。どちらもなかなかきれいなビーチだ。本編冒頭で挙げた写真は東沙のものである。海の色はエメラルドグリーンというわけではないが、普陀山の海に比べれば青く、ちょうど伊豆半島で見る海くらいの色である。海水浴場であり、夏場は結構な人手になるようだ。観光用の地図にはパラセールやジェットスキーをしている写真が写っているので、シーズンになったらマリンスポーツもできるのだろう。上海からこんなに近い場所にこれだけのビーチがあるとは、正直驚きであった。
「情人島倶楽部」にしてもそうだが、このあたり一帯には寂れているか、営業を休止しているホテルが数件ある。これらは、この地の観光資源が上海から多数の海水浴客を惹きつけるに違いないと建設されたのだろうが、失敗に終わっているようだ。建設のタイミングが悪かったのだろう。景気が悪くなっていく時期に作られたわけである。しかしこれだけの環境だ。景気は底をつけこれからは上向いていくと見られているが、数年後には余裕のできた上海人ファミリーが海水浴に大挙してやってくるようになるような気がする。
7月中旬から夏じゅう、砂の彫刻のフェスティバルが開かれる。中国のみならず、海外からも参加者があるそうだ。我々が訪れたのは開会約3週間前となるが既に準備が始まっており、砂の山にしきりに水がかけられていた。99年に第1回が開かれ、2年連続で開催されるということは、今後も年一回の恒例行事となるのだろう。
ビーチに面したホテルがいくつかある。十里金沙に面する金沙度暇村、東沙に面する海天台賓館ともに3つ星級程度以上の設備を有するようだ(ホテルに言わせれば4つ星級と言うに違いない)。オーシャンビューの部屋をとり、いずれかのホテルに泊まるのもなかなかいいだろう。金沙度暇村は上海市の外経貿委系の施設である。
★海天台賓館
電話:0580-6631168
ファックス:0580-6631698
★金沙度暇村
電話:0580-6032411
ファックス:0580-6031472
上海連絡先(外経貿投資開発公司)
電話:6271-9538
ファックス:6271-9025
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