夕方飛行機でウルムチより1300キロ西南のカシュガルへ。カシュガル到着は9時だが外はまだ明るい。ここは中国の西の端っこであ
る。パキスタンの真南北に隣接し、本来上海とは3時間の時差があってもいい。しかし中国にはオフィシャルには時差というものがな
い。このため一般的なオフィスアワーは9時半から1時半、4時から8時となっている。カシュガルの人々は標準時間のことを「北京時
間」と呼ぶ。「新彊時間」は北京時間より2時間遅れであり、ウイグル族は腕時計も新彊時間に合わせている。漢族は日常生活に北京時
間を使うので漢族とウイグル族の恋愛は大変に違いない。「じゃあ今晩8時に会おうね」なんて待ち合わせをしたら漢族は2時間待つこと
となる。
カシュガルでは、彫の深い、どこから見ても欧米系という顔立ちのウイグル族が人口の70%を占めるそうだ。ベールで顔を隠した女性が街を歩き、商店の看板もアラビア文字である。まさしく異国情緒ということばが相応しい。
ウイグル族の人口は700万人を越え、中国の56の少数民族中、壮族、満州族、回族に次いで4番目に人口が多い民族である。天山山脈
南部に多く居住しており、イスラム教を信じる。言語はウイグル語。もとはモンゴル高原あたりに住んでいたが、840年にウイグル・ハ
ン国が滅び、西域に移ってきた。砂漠というと一見住みにくそうではあるが、乾燥しきっているからこそ虫や細菌がおらず、天山山脈の
雪解け水があるので農作物も作れる。ティグリス=ユーフラテス両河流域やナイル川流域で高度な文明が発生したのも乾燥と河川を利用
した潅漑の組合せがあったからである。移住してきたウイグル族たちもこの土地を大いに気に入ったに違いない。
民族衣装を、特に女性がしっかりと守り続けている。男性は外出する時は原則必ず帽子をかぶる。女性は赤とかピンクのえらく派手な
服を着るので、どんなに遠くからでもそれが女性であることがわかる。男性は地味、女性は赤系統の派手な色の服を身に付けているの
で、真っ赤なカーディガンを着て町を歩いていた私はオカマかなんかだと思われていたかもしれない。
漢族の女性とウイグル族の男性の結婚はたまにあるそうだが、その逆はめったにないらしい。ウイグル族の女性が漢族の男性と結婚す
るとなるとイスラム教をすてなくてはならなくなるが、それは親・親戚が許さないのだ。
ウイグル族の女性で思い出したが、唐時代の長安のバーにはカウンターがあって、カウンターの向こうには「胡姫」と呼ばれる西域に
住む民族の女性が多かったようだ。唐というのは漢以外の文化に対し非常にオープンで、首都の長安は、シルクロードを通じて西の文化
がどんどん入ってくるインターナショナル・シティであったのだ。長安ではウイグル族の民族衣装を着ることも流行ったようで、楊貴妃
あたりも民族衣装を着て玄宗皇帝の前でポーズをとり天真爛漫な笑いを見せていたに違いない。そう言えばこの旅行出発前に中国人に対
し「新彊に行くんだ」と言うと必ず「美人がいっぱいいる」という言葉が返ってきた。長安人も現代中国人も新彊の女性は美人だと考え
ている。美人の住む場所と聞いてはじっとしていられなかった。そしてついにその美人の産地カシュガルへ私はやってきたのだ。
夕食の後、ウイグル族の民族舞踏ショーをやっていると聞いた。ウイグル族はリズム好きである。実は日本の雅楽もここにルーツがあるそうだが、西域→長安→日本と伝播していくうちにリズムが失われていき、どう聞いても違うものとなってしまったのだ。
さて、私は「表演」ということばになぜかよわい。友人の間では、私が2年前に雲南省大理でみた白族のショーをもう一度みたいと騒
いでいることは有名だし(このショーに出ていた小姐がモノスゴクかわいいのだ。2ヶ月ほど前に大理に行った人より、この小姐がまだ
踊っていると聞いていてもたってもいられなくなってしまった。秋か冬には行こうと思っている)、上海でも暇があれば南京路のレ
ビューショーを見に行っている。表演は9時から約1時間。踊りは実によくクルクルまわる。目が廻らないのだろうかと心配になる。最後
の出し物のとき、そんな気がしていたのであるが、ダンサーが真っ直ぐに私のところへやってきて手を引張った。舞台に上がれというの
である。いかにも真剣な眼差しで表演を見ていたのだろう。リズム音痴の私はいい恥をかいてしまった。
3日目はカラクリ湖往復である。全行程約400キロメートル。カラクリ湖の標高は3600メートルだそうだ。チベット旅行以来高山というだけで頭が痛くなってくる。また高山病に苦しめられるのだろうか。
朝10時30分出発。新彊の朝は遅い。カシュガルの街を抜け、ゲズ川にそって登って行く。この道はパキスタンまで通じる国際道路で、
貿易の要路となっているらしい。ところどころにオアシスがある。我々の感覚ではオアシスというのは湧き水の周りの発展した都市だ
が、ここでは川の水を引き潅漑した地域のことだ。カシュガルから50キロメートルのところにウパールという村がある。ここがウイグル
族最後の集落であり、ここから先はすべてキルギス族の村となる。ウパールでフルーツを買い込んだ。ハミグア、ぶどう、りんご、すも
もである。ハミグアは1個10元。安い。
ウパールの町を過ぎると、赤茶けた山の間をぬって走るようになる。このあたりより前方には万年雪を抱いた山々が望まれるようにな
る。赤茶けた山がしばらく続いた後、灰色の山の地域に入る。ここでは土石流によって、ところどころ舗装道路が途絶えている。ある場
所では土石流によって道路が完全に塞がれていた。ブルトーザーが土石を取り除いている。道路上を走っている時に土石流に直撃された
らと思うとゾッとする。7月あたりは土石流が集中するらしい。よって7月にカラクリ湖を目指すと、たどり着けなかったり、目的地につ
けても帰りに進めなくなり、飛行機に間に合わなくなったりすることがよくあるらしい。
結局この地点を通過するのに30分程を要した。道路の上にはまだ大きな石がごろごろしていたが我々の乗るランドクルーザーは平気
で越えていった。このランドクルーザーは凸凹の道をボコボコ弾みながら時速80キロで我々を運んでくれている。ちなみに14年前に輸入
されたもので、修理に修理を重ねて使われ続け、走行距離は50万キロに達している。大した車である。以前は自動車免許取得に2年の理
論、1年の実地の勉強が必要だったそうで、運転手は車の隅々まで知り尽くしている。砂漠の真ん中で故障でもしようものなら待つのは
死のみである。自己防衛のためにも車の構造をじっくり勉強する必要があるのであろう。
(参考文献は本シリーズ終了時にまとめて掲載)
|